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相応寺薬師如来三尊像(薬師如来・日光・月光菩薩)

相応寺薬師如来三尊像の写真
(本尊の薬師如来と日光・月光菩薩)

所在地:玉井字南町

「相応寺」について
平安時代のはじめ、徳一大師が開いたと伝えられる真言宗の寺院。
大同2年(807年)徳一大師は霊夢のお告げによって安達太良山へ登り、岩上で薬師如来の尊像を見た。この像は空海が中国に渡って仏法を求めた後に彫造し「日本の有縁の地に安座し給え」と念じ虚空に投げたものである。
あるとき、猟師が猪を山中に追い詰めてきた。手負いになった猪は、倒れて谷の温泉のなかに落ちてしまった。すると奇なるかな、しばらくして猪は息を吹き返し、傷も癒えて立ち上がり、猟師を喰い捨てて立ち去った。不思議に思った徳一大師が、半死の猟師を抱いて温泉に入れたところ忽(たちま)ちのうちに傷が治った。よくみれば、その温泉は薬師如来の肌を通して湧き出ていたという。この像を眉岳(前ヶ岳)に運び、堂宇を建てて如来を安置し、安達太良山相応寺と号した。(木村完三『安達太良山』より)
眉岳にあること650年、その後度重なる火災に遭い、宝暦4年(1452年)玉井亀山に再建され、修験道当山派の拠点となった。ここにあること100年あまりの後、永禄3年(1560年)現在の南町に移された。本堂の左に建つ薬師堂内に安置されている薬師如来は、亀山の元相応寺から移った岳山湯前薬師といわれる。薬師如来の左右には脇仏の日光・月光菩薩が立ち、両側に十二神將が配されている。

相応寺の写真

相応寺玉井八景之歌(相応寺伝)
[1]うもれて花や散るらん春霞 安達太良山の入相の鐘
[2]夜の田を窓打つ風の音つれて 織井の森の梢にぞしる
[3]嵐吹くいずこと問わん皆人の あうさきるさに山口による
[4]見渡の夕日に照る村人の しず心なくかえる越内
[5]名倉山峰の白雲渡りきて 舘田になびき落るかりかも
[6]外ならぬ明石も須磨もこれぞ澄める 平井の宿る月かげ
[7]立ち別れいつ逢隅の渡し舟 乗りおくれじといそぐ旅人
[8]ながむれば麓も嶽の小高み 深くぞ積る雪の夕ぐれ

薬師寺の写真
(薬師寺)

梵鐘・半鐘の写真 昭和17年戦争により梵鐘・半鐘を供出した。平成9年再建された梵鐘には安達太良山と相応寺の歌が刻まれている。
「うつもれて花や散るらん春霞 安達太良山の入相の鐘」

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