【佳作】人種差別 大山小学校6年 菊地爽太

人種差別
 
大山小学校6年 菊地爽太
 
 世界には様々な人がいる。日本人、アメリカ人、ケニア人、フランス人、ジャマイカ人、挙げると切りがない。その中で、アメリカ人やフランス人は白人と呼ばれ、ケニア人やジャマイカ人は黒人と呼ばれている。みんな肌の色がちがうだけで同じ人間なのに。
 どんな人種であれ、みんな同じ人間であり人権が保障されているはずだ。それなのに、テレビを見ていると、黒人と呼ばれる人たちへの人種差別があることに気がついた。なぜ、暴力や暴言、差別が生まれるのだろう。
 二〇二一年、今年の夏は東京オリンピックが開催された。テレビで観戦する中で、多くの日本人が連日メダルをとってうれしく思った。そして、この大会で、ぼくはあることに気がついた。競技日程の最後の方に行われた百メートル走やマラソンなどの陸上競技では、黒人と呼ばれる人種の人たちが多くメダルをかく得しているということだ。彼らは多くの人からエールや歓声をもらっていた。オリンピックで活やくした黒人は大切にされ、その他の黒人は暴力や暴言に苦しんでいる。これはおかしくないか。
 差別に苦しんでいるのは黒人だけではないようだ。ぼくは、アジアの人々も人種差別を受けていることを知った。アメリカでは、アメリカ人同士の中でも東南アジア系のアメリカ人が差別されているらしい。国内でのお祭りも、この人種差別による暴力のせいで、楽しい雰囲気が台無しになったようだ。今現在の世界に、暴力で苦しんでいる人がいるなんておどろきだ。
 ぼくは、アメリカについてもう少し調べてみることにした。そして知ったのは、多くの悲しい現実だ。例えば、サンフランシスコでは、九十一才の老人が地面に押し倒される暴力を受けていた。ニューヨークの五十二才の女性もそうだ。中国人や東アジア系の人々が罵声を浴びせられたり、レストランに入っただけで外国人であるからと嫌悪されたりする事例もあった。アメリカ国内では、二〇二一年に入ってから、アジア系の人々に対する差別や偏見が急増しているらしい。本当に悲しい話だ。
 なぜこんなことになるのか。ぼくにはわからない。だれか得する人がいるのか、単なる腹いせか。人を傷つけてはいけないと分かっているはずなのに。差別や暴力は決してしてはいけないはずなのに。
 ぼくには世界の大きな問題を解決することはできないけれど、身の回りで何かできることはないだろうか。先日、パラリンピックでは、両腕を失った選手が背泳ぎをしていた。見た目だけでこの人にはできないと決めつけてはいけないのだと思った。外国人に出会った時だって、身構える必要もないだろう。普通に接すればいいじゃないか。軽い気持ちで友達に発する言葉は、本当に正しい言葉なのか。自問自答することもいいだろう。たがいを思いやるやさしい世の中にしていきたい。
 
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