【佳作】差別とは 大玉中学校2年 矢吹大輔
差別とは
大玉中学校2年 矢吹大輔
私が小学五年生の時、私たちのクラスは先生の話を聞かなかったり、授業も勝手なおしゃべりをしていたりしていました。落ち着いて授業を受ける環境ではありませんでした。授業が始まっても半分くらいの人が授業とは関係のないおしゃべりをしていました。そんなうるさい中、友達が、「静かにしようよ。」と注意しました。その時は静かになるけれど、次の授業、次の日はまたうるさくなりました。先生も「静かにしてください。」と大きい声で何回も注意しました。でもそんなに変わりませんでした。私はうるさくすることもしませんでしたが、注意をすることもしませんでした。授業中、さわがしいことは、いけないことがと思いながらも何もしませんでした。しかし、時々六年生担任のこわい男の先生が来て、「ふわふわしてんなよ。」と注意するとみんなは静かになりました。担任の先生は怒ってもあまりこわくないのでみんなは静かにしなかったのだと思います。今思うとそれは、担任の先生に対しての差別だったと思います。こわい先生が言うと静かにする、怖くない先生が言っても静かにしない、これはとてもおかしいことだと思います。こわいからやる、こわくないからやらないのは間違っていました。担任の先生は、とても辛かったと思います。悲しかったと思います。みんなと楽しく授業をしたかったと思います。相当考え、とても苦しかったと思います。私たちはそんなことを長く続けていました。つまり、ずっと先生を傷つけて悲しませていたのだと思います。
なぜこのようなことを続けてしまったのでしょうか。あの時は深く考えなかったのですが、今考えるとそれは、先生の気持を考えることができなかったから、また、やっていいこと悪いことを自分で考えることができなかったからだと思います。
わたしたちの身の回りには、差別やいじめがあります。サッカーの大会の決勝戦でPKを外した外国人三人が、人種差別的な誹謗中傷を受けたというニュースをテレビで見たことがあります。「黒い三匹のライオンとは一緒に戦えない。」と落書があったそうです。他にも、SNSでのいじめ、気に入らない、自分とは違う意見を持ってる、優特生ぶってる。ということでのいじめがあり、自ら命を絶ってしまったといニュースをよく目にします。いずれもなぜそんなことをする人がいるか信じられません。でもそのように差別やいじめが起きるのは、やはり相手の気持ちを考えることができないから、そして、よいこと悪いことの判断を自分で考えることができないからではないかと思います。
五年生の時の担任の先生は、優しい先生でした。こわくないから自分勝手にうるさくしてしまった私たちは間違っていることに気付かなければいけなかったし、よいこと悪いことを考えることが必要でした。みんなになんと言えばよかったんだろうと今も考えています。しかし今考えたとしても、後もどりすることはできません。だから今後、同じような事などがあったときに生かせばいいのです。そして、あの時の何も言えなった私は、うるさくしていた人たちと同じでした。勇気をもって自分で判断したよいことを人に言える人になりたいです。これからもしかしたら、身の回りでこのようなことが起きるかもしれません。そんなときは、相手の気持ちを考え、勇気を出して「だめだよ。」とか「やめなよ。」とか「相手の気持ちを考えようよ。」と言いたいです。勇気を出せるか正直不安です。でも、どういう人間になりたいかということを忘れないで勇気をだしたいです。
この人権作文を書いたことで、今までの自分の行動を振り返ることができました。もし私が、いじめなどを受ければ、私も傷つきますし私の親もとても悲しみます。また、いじめなどは面白半分であっても、周りの多くの人を悲しませるものです。人の言葉はかんたんに人を傷つけたり、いやしたりすることも出来ます。どっちを言って人がうれしがるか考えましょう。これから私は人を傷つける言葉ではなく、いやす言葉を使って生活していきたいです。
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