【佳作】いじめのない世界へ 玉井小学校5年 伊藤優真

いじめのない世界へ
 
玉井小学校5年 伊藤優真
 
 
 ぼくは以前、ぼくが思ういじめにあっていました。それは言葉の暴力でした。言われるたびにとても心が苦しくなりました。しかし、先生や友達、お父さん、お母さんが味方になって支えてくれたので、そのいじめもなくなりました。今では、その友達とも中の良い友達になっています。
 しかし、ニュースでは、自殺にまで追いこまれた人もいると聞いたので、人数を調べてみました。すると、小学校から高校生までの自殺者は、平成二十八年の二百八十九人が、令和二年には四百七十九人と年々ふえているとのことでした。
 いじめは、人間としてやってはいけない行いだと思います。容姿や性格など、自分ではどうすることもできないことを理由にして人をいじめるのは、自分勝手ではないでしょうか。いじめている人は、すぐにわすれてしまうかもしれませんが、いじめられた人は、何年、何十年と心に傷を負って生きていくことにもなります。そんな時、近くに話を聞いてくれたり、気持ちを分かってくれたりする人がいたら、乗りこえることができるかもしれません。そんな人が近くにいてくれたぼくはいじめからぬけ出すことができました。そして、その後もぼくの心の傷を治してくれました。いじめは、もちろんつらいことですが、周りの人の態度で救われる命もあるのではないかと、自分の体験から感じました。
 また福島県は、二〇一一年三月十一日の東日本大震災後の原発事故のために、他県への避難している人がいることを知りました。そして、その避難した先で、「放射線がうつる」などの言葉の暴力によるいじめがあったと聞きました。避難した人たちは、自分たちが原因ではなく、自然災害が原因の事故のために住み慣れた場所をはなれるしかなかったにもかかわらず、いじめにあったのです。今年コミュタン見学で学習しましたが、放射線はうつるものではなく、身の回りにも放射線はあることを知りました。きっといじめをした人たちは、そんなことも知らずに、だれかに言われたことをそのまま言葉にし、周りに友達のいない弱い立場の人をいじめたのではないかと思いました。そこでは周りの人達も、いきなりきた一人の福島の人よりも、もともと住んでいた地元のたくさんの人の味方をしたのではないかと思います。助けてくれる友達がいなかったとしたら、かなりつらい思いをしたのではないでしょうか。
 いじめは、自分よりも弱い立場の人に対して、自分勝手な理由で行われています。軽い気持ちでやっているかもしれませんが、いじめられるのは、本当につらいです。いじめられた立場として考えると、いじめられている人に必要なのは、助けて支えてくれる人だと思いました。だから、もし周りにいじめられている人がいたら、迷わず助けてあげて、その後も支え続けられる人になりたいと思いました。
 
 
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