【特選】人権の尊重 玉井小学校6年 喜古真凜

人権の尊重
玉井小学校6年 喜古真凜
 
 私はこの前、ある一冊の本を読んだ。それは、生まれるつきうでや足がなく車いすで生活している人の本当のお話が書いてあるノンフィクションの本である。本をパラパラとめくった時、文章と一緒にのっていた写真を見て、私は思わず、「えっ。」と言ってしまった。その写真に写る姿は、身長が小さく手足が短かったからだ。読み始めると写真の意味がようやく理解できた。しかし、読み終えたときに「えっ。」と言ってしまったことをものすごく後悔したし、その時の気持ちは今までも忘れない。
 このようなノンフィクションの本を何冊か読んで、生まれつき障害を持っている人などが他の人とちがう扱いを受けたり差別されたりしていることを私は知った。人は必ず生まれつき人権をもっているはず。学校の授業でも習ったから、子どもの私ですら知っている。だから、障害を持つ人への差別やいじめがあることを知って、嫌な気持ちになったし、不思議にも思った。いじめられている人といじめている人・・・何がちがうのか。
 地球はとても広い。顔や性格がまったく同じ人は一人もいない。ましてや好きなものなど好みまで同じ人なんていないはずだ。それなのに、他の人と何かがちがうからいじめられるのだとしたら、「あなたはどうなの?」って言いたい。低身長だから?目が一重だから?指が手がないから?あなただって、人とちがうところがたくさんあるよね。
 私は四年生の秋ごろから今まで、ある理由でぼうしをかぶって生活している。授業中も休み時間もかぶっている。私が初めてぼうしをかぶって登校した日、「いじめられるかもしれない。」という不安をもちながら教室に入った。けれど、クラスのみんなは、いつもより優しいわけでもないし冷たいわけでもない。いやな言葉を言ってくるわけでもなかった。昨日までと変わらずに、今までと同じように接してくれたのだ。私はそれがとてもうれしかった。みんなとちがうところがあっても、私という人間に変わりはない。私は私、みんなと同じ人間だ。一日中ぼうしをかぶって生活していても、クラスのみんな差別したりいじめたりせず、同じように接してくれたことで、私は安心することができた。だから、私と同じように、みんなが安心して楽しく生活できるようにするためには、人とちがうところは「個性である」と理解して接することではないだろうか。
日本国憲法には「基本的人権の尊重」という原則がある。この言葉を知ったとき、世界のみんなが自分と相手とのちがいを理解し、自分のことのように大切にしてくれたらいいなと考えた。差別やいじめがなく一人ひとり平等になり、互いに尊重し合える世界になれたらいのに。だから私は、人とのちがいも「自分らしさ」と考えて、だれにでも平等に接していきたいと思う。
 
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