【優秀賞】沖縄から学んだこと「命どぅ宝」 大玉中学校1年 渡邉空
沖縄から学んだこと「命どぅ宝」
大玉中学校1年 渡邉空
最近ニュースで、ウクライナとロシアの戦争の映像がよく流れています。建物がこわされた映像や、攻撃から逃げる映像、泣いている人の映像を見て、かわいそうだな、大変そう、どうしてこんなことをするんだろうと思いました。でもそう思いながら少しだけ、遠い国での出来事で、日本では起こらないという安心感を持ってしまっていました。
ある日、テレビで『沖縄返還五十年』というのを見ました。私は意味が分かりませんでした。沖縄はもともと日本の物だと思っていたし、沖縄の人の見た目も日本人だし、言葉も日本語だったから、不思議に思ったのです。ニュースを聞いていると、沖縄は五十年前までアメリカだったことを知りました。沖縄は、もともとは日本だったけれど、七十七年前の戦争で日本が負けて、アメリカの土地になりました。戦争の映像が流れて、ウクライナのことを思い出しました。沖縄では、民間人を巻き込んだ地上戦が行われたということも、初めて知りました。日本でも、かつてこのような戦争が行われていたことを知り、ウクライナの問題も人ごとではないと感じました。これをきっかけに、私は沖縄の戦争を調べてみることにしました。
沖縄といったら、きれいな海、たくさんの魚、サンゴ、さとうきびなどきれいなものがたくさんあるというイメージしかありませんでした。しかし、調べてみると、沖縄は悲しい過去を持つ場所でもありました。民間人や日本兵がたくさんこの地に眠っています。中でも心に残ったことは、沖縄の女学生たちのことです。彼女たちは、私たちと同じくらいの年齢です。学徒隊や部隊と呼ばれていて、けがをした日本兵の手当てなどをしていました。看護師のような仕事をさせられていましたが、とても大変な仕事で、アメリカの攻撃で亡くなったり、自殺してしまったりする人もたくさんいたそうです。私は友達やけがをした人が目の前で亡くなるところを見たくないし、なんで逃げなかったのかなと思いました。また逃げずに爆弾で自殺したのもなんでかなと思いました。彼女たちはたくさん勉強をしたかったと思うし、なりたかった夢もあっただろうし、お友達と楽しい学校生活をおくりたかったはずなのに、戦争に巻き込まれてつらかっただろうなと思いました。私にはこんなことができないと思うし、想像もできません。私は、今とても幸せだということに気付きました。
この夏私は、『沖縄の伝承活動に学び東北の震災伝承のこれからを考える』という講演会に参加しました。そこで、ガマフヤーと呼ばれている具志堅高松さんを知りました。具志堅さんは、ガマと呼ばれる穴で遺骨収集をしている方です。具志堅さんの言葉で、「遺骨にも人権はある。沖縄だけの問題ではない。沖縄に眠る日本兵の多くは本土出身者だ。」というのを聞き、「もしかして」と思いました。大玉村出身の人もいるかもしれないと思ったです。私はさっそく、安達太良ふるさとホールへ行き、一冊の本を手に取りました。『昭和戦史』という、とても古い本。中には大玉村あら戦争へ行った人の名前や写真や体験談がたくさん書かれています。その本を開いて「沖縄」という文字がないか探しました。すると、大玉村出身で沖縄で戦死した方が数名いることが分かりました。まだ沖縄に眠っているのだろうか、大玉村に帰ってきたかっただろうなと思うと、とてもつらく悲しい思いになりました。この本に載っている大玉村出身の日本兵のみなさんは、とてもいい笑顔で帰ってきてほしかったなあと思いました。自分の村から、日本兵として出征し、沖縄で亡くなった方がいることを初めて知り、沖縄の問題も人ごとではないと感じました。
沖縄の方言でこのような言葉があります。
「命どぅ宝」
沖縄語で命こそ宝という意味の言葉です。この言葉を知って思いました。命は一番大事であって、自分の命も他人の命も大切にしなければならないものなのです。大切な命を奪ってしまう戦争はあってはならないことです。私たちは、七十七年前の戦争を忘れてはならないし、今ウクライナで行われている戦争をとめなければいけません。戦争のない世界を私たちの代で作りあげたい。人の命を守りたい。心からそう思います。
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