【佳作】 戦争について考えたこと 玉井小学校5年 服部暁春
戦争について考えたこと
玉井小学校5年 服部暁春
ぼくは朝起きて、朝食を食べながらニュースを見ていました。それはロシアとウクライナの戦争についてのニュースでした。そのニュースでは、ロシアとウクライナの戦争の影響による、日本の物価高騰や食料ショックについて説明していました。そのときのぼくは、「物価高騰とか、かんべんしてよー。そっちが好き勝手に戦争をしているせいで、こっちの生活が苦しくなるわー。」と少しあきれて言ってしまいました。
翌日、今日はどうかなと朝のニュースをつけると、信じがたい映像が映し出されていました。建物に爆弾やミサイルが撃ち込まれて、まるで紙が破られるようにくずれ落ちていくのです。「えっ、何で。」ぼくはおどろきました。次の映像には、三才ぐらいの子どもが泣きながら、行くあてもなく歩いているのが映し出されていました。「お父さん、この人たちは、今どこに住んでいるの。」一緒にニュースを見ていた父に聞きました。「死んでしまった人もいるけれど、生き残った人は、避難生活を強いられているんだよ。」父の言葉を聞いて、身を寄せる所がなくなった人たちは避難生活をすることを知りました。そして気付きました。本当に生活が辛くて苦しいのは、戦争の影響で生活が苦しくなっている日本の人ではなく、戦争の中心にいる、戦争を始めた国の身勝手に振り回されている、現地の一般の人たちだということです。日々爆弾の標的になっている現地の人たちは、ぼくたちと比べられないほど、戦争におびえ、こわがっているのです。
ためしに、自分が戦争におびえる人の立場になったらと想像してみました。兵隊、ミサイル、身近な人が亡くなること・・・・・・・。本気で考えましたが、悲しみの他に浮かぶ感情はほとんどありませんでした。分かることが少なかったです。本当に経験した人でないと、その辛さは分からないと思いました。ですが、一つだけはっきり分かったことがあります。それは、今、日本で何となく生きているぼくは、自分が思っている以上に幸せだということです。平和に生きることができて、人権が守られているだけでも、とても幸せだと思います。きっと戦争をしている国の人たちから見たら、うらやましがられると思います。それなのに、その日本では、生きているだけで辛いと考える人が増えているのです。環境が良くなって、それと同時に幸せを感じる心が貧しくなっていったからでしょうか。
ぼくは、ぼくなりに今できることを考えました。それは、今、生きている幸せをしっかりかみしめることだと思います。住む場所が無くなってしまった人たちや、貧しくて毎日を必死に生きている人たちのことを思い出し、そういう人たちの分まで、今のこの状況に感謝しながら、精一杯生きることだと考えました。
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