【優秀賞】 墓参りが教えてくれたこと 玉井小学校5年 國分穂乃花

墓参りが教えてくれたこと
玉井小学校5年 國分穂乃花

「またここか。」私の家では、毎年お墓参りへ行く。その中に「國分家」でも「渡邉家」でもない「橋本家」と書かれたお墓がある。私はこのお墓が苦手だ。なぜなら、急な坂をずっと上まで登って行かなければならないからだ。「ここってだれのお墓なの。」とお母さんに聞くと、「これは、ばあのお兄ちゃんのお墓だよ。」と言われた。墓石の裏に昭和二十年三月五日と刻まれている。その人は、私のひいばあちゃんの兄だ。お母さんがひいばあちゃんをばあと言っていて、ばあは私が生まれてすぐに亡くなった。

ばあのお兄ちゃんは、太平洋戦争の時、パプアニューギニアのブーゲンビル島で亡くなったこと、ばあは毎日、お兄ちゃんが無事に帰ってくるようにお祈りしていたこと、一緒に戦地に行っていた本宮の人がばあのお兄ちゃんが亡くなったことを教えにきてくれたこと、ばあのお母さんが横すかの海軍に手紙を送ると、亡くなったという通知が送られてきたことを教えてくれた。お参りした後、「このお墓の下にお骨があるんだね。」と聞くと、お母さんは、「戻ってきたのは、かみの毛だけだったんだって、そのかみの毛もだれのものか分からないってばあは言っていたよ。」私はびっくりした。お骨も戻ってこないなんて・・・・・・。かわいそうで汗と一緒に涙が出た。

夏休み、お母さんは東京の靖国神社に連れて行ってくれた。戦争に行った人たちは、「靖国で会おう」と言って亡くなったと聞いた。でも本当は大切な人や家族に会いたかったんじゃないかなと私は思った。その後に行った千鳥ヶふちは、身元の分からない人のお骨がたくさんあると聞いた。

「この中にお兄ちゃんの骨があるの。」と聞くと「それも分からないけど、あるかもしれないから、ここに来て手を合わせるの。」と言った。お母さんは戦争の後に生まれたのに戦争に詳しいのは、ばあのお兄ちゃんのことをずっと思っているからなんだと感じた。

私とお母さんは一つの行動に出た。厚生労働省の遺骨のかん定にばあのお兄ちゃんのかみの毛を出すことにした。「本当は、ばあが生きているうちにやりたかった。」と、お母さんは悲しそうな顔をした。

戦争は、たくさんの命を簡単にうばう。その上、そのお骨すら家族の元に帰ってこない。何年たっても、会ったことのない家族に手を合わせる人がいる。戦争で亡くなった人たちは、みんな大切な命だということを、当たり前のことを、命をかけて教えてくれた。それなのに今でも戦争をしている国がある。戦うのではなく人を思いやること。それだけで悲しい思いをする人がへる。今まだ戦争をしている国に届くといいなと思う。
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