【佳作】人それぞれの「普通」 大玉中学校2年 矢崎祥史

人それぞれの「普通」
大玉中学校2年 矢崎祥史
 
あなたにとっての「普通」とはなんですか。 勉強が得意な人がいれば、苦手な人もいます。運動が好きな人がいれば、嫌いな人もいます。僕は、人には皆、それぞれ得意なことや苦手なこと、好き嫌いがあり、それがその人にとっての「普通」なのだと思います。
僕は、ある道徳の授業で、「みんなでとんだ!」という物語を読みました。この物語は、ある人物の「普通」を尊重し、友情を大切にしたものでした。
運動会の学年種目「大縄跳び」で1位を目指して、2年1組は練習を始めました。 ところが、勉強や運動面で助けが必要な矢部ちゃんは、縄に引っかかってほとんど飛べませんでした。そこで矢部ちゃんは、本人や保護者も納得の上、応援係をすることになりました。本番もその形で進む予定でしたが、あるクラスメイトの意見で、もう一度話し合いが始まりました。 長い話し合いの末、矢部ちゃんは本人も大縄跳びをしたいという意見もあり、1組は勝ち負けは気にせず、矢部ちゃんも入ってクラスみんなで跳ぶことに決まりました。 そして運動会当日。結果は予想通りの最下位に終わりました。でも、1組はクラス全員で跳べたおかげで、「最高のビリ」で終わることができました。このクラスの多くの人は、大繩を跳べるのが普通でした。一方矢部ちゃんは、勉強や運動が苦手で、大繩をほとんど跳べませんでした。 矢部ちゃんにとって、大繩を跳ぶことは普通ではなかったのです。ですが矢部ちゃんは、大縄を跳びたいと言いました。 クラスの中には、矢部ちゃんは、大繩を跳ぶ気がないと思っていた人もいました。クラスのみんなと矢部ちゃんの、一つの「普通」と、考えが一致しない部分があったのです。そこを2年1組は、矢部ちゃんを責めることなく、受け入れて話し合いを進めました。この、自分と異なる他人の「普通」を受け入れるということが、「最高のビリ」で終わることができた原因であると思います。

僕は、指示通りに行動しなかったり、言うことに応えてくれなかったりする人を見ると、 「これぐらい普通じゃん」と思いイライラしてしまうことがあります。しかし物語を読んで、自分の「普通」ばかりを考えてしまって、相手の「普通」を考えず、受け入れることができなかった自分にも悪いところがあることに気がつきました。もしかしたら、指示通りに行動できなかったのは、それができない事情や、思いがあったのかもしれません。言うことに応えてくれなかったのは、言ったことが、周りがうるさかったり、僕の説明不足で伝わっていなかったからかもしれません。そしてそれらが、相手の「普通」だったのかもしれません。
少し相手の「普通」というものを考えてみただけで、 僕の「普通」と大きくかけ離れていることがあるとわかりました。それが分かった瞬間、僕は、イライラする前に、自分と相手の「普通」の違いを考えたり、聞いたりして受け入れることをすれば良かったと後悔するようになりました。これからは、このようなイライラやすれ違いが無くなるように、「普通」の違いというものを考えて生活したいと思いました。

僕は、この人と人とで異なる「普通」によるすれ違いは、日常生活で感じるような小さなことだけではないと思います。 今、世界中で問題になっていることの中には、実は、人と人との「普通」の違いによって起きていることもあると僕は考えます。
世界的な問題で例を出すなら戦争や差別です。戦争は、それぞれの国や宗派などが考える「普通」の主張が、それぞれの正義となり ぶつかったものだとは僕は考えます。自分たちの「普通」と他方の「普通」の違いを理解し、尊重することができれば、戦争がない世の中に近づくと思います。
世界的に問題になっている様々な差別も、「普通」のすれ違いによるものもあると思います。今、世界では、子どもや女性、黒人や障害者などへの差別、差別が起きています。 これは、自分たちの「普通」と体の大きさや性別、肌の色や行動が違うからといった考えが生んでしまうものだと思います。人それぞれの得意なことや苦手なことなどによりうまれる「普通」という考えは、その人を表す大事な個性となります。しかし、人それぞれの「普通」を理解することは難しく、その違いによって、小さなすれ違いや大きな争いに繋がってしまうこともあります。 その上で大事なことは、矢部ちゃんと2年1組のみんなのように、自分と相手とで異なる「普通」を理解し、受け入れることです。 それができれば、もし人が失敗したり、上手くいかないことがあっても許せて、争いや差別、偏見などがない平和な世の中になっていくと思います。
 
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