【佳作】SNSを使用するということ 大玉中学校2年 遠藤俊希

snsを使用するということ
大玉中学校2年 遠藤俊希

今年の夏はパリオリンピックが開催された。毎日熱い戦いが繰り広げられ、多くの日本人が大活躍している姿に、時間が経つのも忘れ、夜な夜な様々な競技を観戦している。 毎日、メダルラッシュに沸く日本列島だが、表彰式で、喜びや感動で涙する選手、メダルを逃しくやしさで涙を流す選手、どちらもオリンピックへ臨む姿勢や意気込みは相当なものだろうという計り知れないものがある。ただ、凄まじい努力をしてオリンピックという舞台に立っているんだろうな、ということは想像ができる。僕は、バレーボールの経験があり、オリンピック競技の中では、特に男子バレーを応援していた。今年の日本男子のメンバーは、オリンピック予選から前評判が良く、数十年ぶりにメダルも獲得できるのではないかという期待が寄せられていた。 予選リーグをなんとか通過し、決勝トーナメント第1試合目の対戦相手は、開催国であるフランスだった。2セット練習し、もう1セット取れば 勝利というところで、デュースまで持ち込まれてセットを取られた。4セット目も取られ、運命の5セット目。勝つか負けるかのギリギリの大事な場面で、ある選手がサーブミスをしてしまった。力及ばず、惜しくも準々決勝で敗退してしまった。力及ばず、惜しくも準々決勝で敗退してしまった。 負けてしまったけれど、くやし涙を流す選手を見て、いままでの頑張りと、次の試合への期待が持て、感動とともにその日は眠りについた。 次の日のニュースを見て、僕は唖然とした。昨日、名勝負を見せてくれた選手に対し、誹謗中傷のコメントが、押し寄せられているという事実であった。オリンピックの舞台に立てているということだけですごいことで、称賛をする言葉をかけるならわかるけど、 侮辱する言葉を浴びせるなんて、どんな心境なんだろうと思った。ニュースを詳しく調べていくと、ある大学の教授が、こんな話をしていた。「オリンピックは、多くの人たちが注目し、国と国がメダルの数を競い合う戦いになっていて、より一層、熱心に応援する人たちが増えているイベントである。このため、誹謗中傷の問題が過熱しやすい 下地ができている。 悪いことをしたんだから、バッシングされて当然だろうという、その人の中での価値観、正義感で攻撃をしてしまっている」と。ただでさえ、負けて悔しい思いをしている選手に対し、心ない言葉で攻撃をするという 相手の気持ちを考えられない人が大多数いるという事実に、悲しい気分になった。

現在、通信機器が普及し、幅広い世代の人がsnsを利用するようになった。非常に簡単に投稿ができてしまう時代である。また、著名なアスリートに対しても、気軽に直接メッセージを送ることができる。それは、裏を返せば、それだけ1人ひとりが情報発信力を持っているということだ。 匿名だからといってどんなことを言っても許される訳でもなく、現在は特定され、賠償金を請求されるケースも少なくない。だからこそ、自分の発する言葉には責任を持たなければならないということだ。
誹謗中傷に関しては、オリンピックに限ったことでだけではない。身近でも起こりうる問題だということは、度々小学生の頃から説明を受けている。僕は中学生の頃から、スマホを使用している。友達とコミュニケーションをとったり、ゲームしたり、動画を見たりと一度手にすると、楽しくてなかなか手放せなくなってしまう。 簡単に調べ物が出来たり、なかなか会えない人にも、いつでもつながることができるなど、多くのメリットがある。 その一方で、依存症になったり、ちょっとした一言が大炎上したり、プライバシーが守られなくなったりと、デメリットも多くある。何げない一言がいじめにつながることもある。使用するからには、これらの問題点と向き合いながら、うまくつき合っていく必要がある。

僕は、sns上で誹謗中傷にあたるコメントをしたことはない。 相手の立場になり、やられたら嫌だと思うから。思いやりやリスペクトする気持ちがあれば、誹謗中傷は減ってくるのではないかと思う。オリンピック選手へ向けられた言葉の暴力は、決して許されることではない。 一度でも投稿したものは、後から後悔しても消せるものではなく、だからこそ今一度自分の放つ言葉を一旦振り返り、責任を持たなければならないと強く感じた。自分が他人の人生を台無しにしない為にも。
 
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