【特選】世界がひとつになるために 大玉中学校3年 渡邉希心
世界がひとつになるために
大玉中学校3年 渡邉希心
1948年(昭和23年) 12月10日、第3回国際連合総会において「世界人権宣言」が採択されたことを皆さんはご存知でしょうか。 この宣言は「世界のすべての人々が人間として自由と尊厳をおう歌し、幸せに生きていくことを約束するものであり、真の世界平和を実現するために、人類が進めべき道を示したものである」と記されています。恥ずかしながら、私は今回この作文を書くためにさまざまな資料を見ることがなければ、このような宣言があり、採択されていたということをまったく知りませんでした。そして、 この宣言を読み始めると、そのまっすぐな思いに魅了され、何度も何度も読んでしまうこととなりました。
宣言は前文と30条からなり、誰もが理解できるような内容で、あたり前に守らなければならないことではないかと思ってしまいますが、世界にはまだまだ守られていない国もあるのではないかと思う条もありました。 海外だけでなく日本でもまだ守られていないことがあるのではないかとも感じました。第2条には「人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上等の事由による差別を受けることなく…」と記されています。 これはつまり、世界のどんな人でも関係なく差別を受けることがないということだと思います。私の目の前のテレビでは今、パリオリンピックが開催されており、さまざまな国の出身者が、さまざまな肌の色で 正々堂々と協議している姿を見ることができます。私も日本の選手を応援することはもちろん、他の国の選手をたくさん応援しました。また、選手の皆さんも勝ち負け関係なく互いを称賛する姿がとても印象的でした。その一方で、世界ではまだ至るところで 戦争が起きており、お年寄りや子どもたちまでが巻きこまれ、犠牲になっているということも事実です。最近日本ではあまりニュースにもならなくなってしまいましたが以前、学校や、病院までもが襲撃され、多くの犠牲者が出たというニュースを見ました。
日本でも79年前には戦争が行われていました。私は実際に広島で行われる平和記念式典に参加させていただく機会があり、原爆が投下された広島の地を肌で感じることができました。その時に訪れた広島平和記念資料館は衝撃的でした。被爆した三輪車が展示されており、この三輪車に乗っていた子供はどうなったのかと考えると胸が苦しくなりました。 後に、この三輪車の子は私の想像どおり、大やけどを負って亡くなったと説明がありました。その他、原爆で亡くなった方の遺品も数多く展示されており、その時の悲惨な状況を感じることができました。 そしてその戦争で大きな影響をうけたのは、やはり子どもたちでした。学校に行っても教室での勉強はほとんどできなかったそうです。戦争のために大人の仕事を手伝ったり軍隊の訓練もしていたと話を聞きました。また、空撃をさけるために家族と離れた生活を強いられていたそうです。
私は今、あたり前に学校に通い授業をうけ、安全に登下校することができます。このあたり前だと思っている日常を送れていない時代があり、世界では今もなお安全な生活と教育をうけられないという子供たちが大勢いるのです。女性は学校や大学に通うことを禁じている国さえもありました。
今、あたり前だと思っていることを日常で再確認することはなかなかありませんが、この作文を書くにあたり、資料を見たり、いつもよりもニュースを注意して見たりすることで、いかに平和で充実した日々を送れているのかを実感することができました。
さて、「私には今何ができるでしょう」そう考えた時に、昨年台湾へ行った時のことを思い出しました。文化も言葉も違う、不安でいっぱいの私をやさしく受け入れてくださったホストファミリー。私が困らないように、一生懸命ジェスチャーを交えてコミュニケーションをとってくれようとしました。 私もそれに答えて、一生懸命自分の意思を伝えようとしました。なかなか意思疎通が取れなくても、お互いニコニコ笑顔。そしていつもどうにか分かり合えるということが沢山ありました。今私にできることはそこかなと思います。友達と言葉は通じますが、さまざまな思いや意見があります。私自身、 友達に自分の気持ちをしっかり伝える事。そして友達の話もきちんと聞くこと。それが今、目の前にいる友達の人権を守る第一歩になるのかなと思います。そんな小さな一歩ですが、着実に実行していきたいと思います。 ひとりひとりが小さな一歩を踏み出し、大きな輪となり、「世界人権宣言」が実行されていることが、あたり前の世界になればいいなと思います。
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