【佳作】世界をつなぐために 大玉中学校2年 若松奈緒

世界をつなぐために
大玉中学校2年 若松奈緒

「日本は今年で戦後八十年を迎えました。今回は…」テレビで戦争の番組が放送されていた。日本は、一九四五年八月六日に広島、九日に長崎に核爆弾を落とされ、十五日に終戦を迎えた。大勢の人が亡くなり、今もなお被爆した方や、戦争で家族を亡くした人の心の傷が癒えることはない。何度聞いても心が痛む。だが、どこか現実味がないように感じた自分もいた。
場面が入れ替わり、戦争経験者へのインタビュー映像になった。インタビューを受けていた九十四歳の男性は、「あの日のことを思い出すと、悲しくて悔しくて、子どもや孫にも話せない。私のような思いをする人が二度と出ないように、この地球から核兵器をなくしてほしい。」と話した。別の女性は、「広島はずっと平和を訴えていますが、世界中で戦争が起きていて、訴えが伝わらないことが悲しいです。戦争は二度と起きてほしくない。」と語っていた。見ているのが辛くなり、テレビのチャンネルを変えてしまった。
なぜこれだけ辛い思いをしている人がいるのに、世界では戦争が続いているのだろう。私は、テレビのチャンネルを変えるように、戦争から目を背けるのではなく、何があったのか知ることが重要だと思った。

そこで、「戦地へ行った人、残された家族のものがたり」という展覧会があることを知り、足を運んだ。その展覧会には、戦場へ赴いた方たちの遺品があった。あなたのお父さんはお国のために立派に亡くなったのだから、誇らしいことなのだと書かれた子供への手紙。本当は死にたくなかったと綴られた特攻隊員の手記。爆撃により指が欠損した人の手袋。遺品から戦争で亡くなった人々の思いがまざまざと伝わってきた。なぜ望まれて生まれてきた命が戦争で失われなければならないのだろう。なぜ罪のない人間の命が奪われなければならないのだろう。人を殺せと命令されたとき、その人はどれほど辛い思いをするのだろう。もし自分の、この「当たり前の生活」が、自分の家族や友達が奪われてしまうとしたら、と考えると、強い恐怖に襲われた。

今、広島の原爆資料館に多くの海外の人達が訪れているらしい。日本人だけでなく、世界の人々が戦争の恐ろしさを理解しようとしているのだと思う。海外の人々は、日本が戦争で核爆弾を落とされたことは知っているが、核兵器が落ちて何が起きたか、そこまでは知らない実態があると資料館の副館長さんは話していた。インタビューを受けたイギリス人の男性は、「今まで見てきた中で最も衝撃的な資料館だった。まだ心には悲しみが残っている。」と悲痛な表情で語っていた。私はまだ実際に原爆資料館に行ったことはないので、目の当たりにしたらきっと強烈な衝撃を受けるだろう。それでも一度は訪れなければならない場所だと思う。戦争とはどれほどひどいものなのか、二度と起こしてはいけないものなのかをしっかり胸に刻むべきだろう。

「イスラエルのガザ地区では、まだ激しい戦闘が…」「ロシアによるウクライナ侵攻は…」テレビの中のニュースキャスターは、真剣な面持ちをしている。飢餓で苦しむ人々、家族を失い茫然とする私と同じくらいの歳の子供、骨が浮き出ている赤ちゃん、激しい銃撃戦、そんな映像が次々と流れてくる。こんなことが今地球上で起きていることなのだ。宗教が違うから、民族が違うから、資源が欲しいから、領土が欲しいから。いかなる理由があろうとも、人が人の命を奪うなど、絶対にあってはならない行為だと思う。
世界では戦争が繰り返されており、今でも多くの人の命が脅かされている。その中で、今、私ができることは何か、考えた結果、戦争の恐ろしさを伝え続けることだと思った。風化させることなく語り継ぐことで、平和の大切さを実感し、戦争はどれほどいけないことか感じることができるのではないだろうか。そのためには、まず何があったか、戦争がどんなものなのか、目を背けず、知ることが大切だ。私は、これから日本に、そして世界に目を向けていきたいと思う。
今、あなたが平和のためにできることは何だろうか。少しでも考えて欲しい。一人一人の行動は小さくても、それが積み重なって、世界を結ぶ大きな輪になるはずだ。国籍も、人種も関係なく、人々が手を取り合えるような、そんな平和な世界になることを願う。
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