【優秀賞】「ふつう」ってなんだろう。 大玉中学校1年 渡邉留愛羽

「ふつう」ってなんだろう。
大玉中学校1年 渡邉留愛羽

「ふつうはさぁ。」「ふつうならさぁ。」普段の会話の中で「ふつう」という言葉を使う人はとても多いと思う。でも、「ふつう」とはなんだろうと、不思議に思うこともある。
以前、母から「ふつうってなんだと思う?」と聞かれたことがある。いきなりなんでそんなこと聞くんだろうと思った。私の弟は、小学二年生で支援学級で学習している。軽度知的障がいと自閉症だからだ。母が弟のことで相談をした時、相手から「ふつうのお子さんよりも」というワードが出てきたようで、私に「ふつうとは何か。」と聞いてきた。そのことを聞いてとてもおどろき、悲しくなった。まさか自分の弟がそのように言われるとは、思っていなかったからだ。弟は同学年の子と比べると、理解している言葉も少ないし、私が話をしているのに一方的に話を進めたり、きげんが良いと思ったら、ちょっとしたことできげんが悪くなったりする。弟なりのこだわりもあるし、自分の気持ちをうまく言葉で表現することも苦手だ。外に出る時も一番が良いし、トランプなどで遊んでいるときも一番が良いし、なんでも一番が良い。自分の思い通りにいかないと泣きさけんだりもする。正直、泣きさけんでいる姿を見たりすると、うるさいなと思ってしまうこともあれば、可哀想と思ったり、そのような障がいがあるから仕方ないよなと思ったりもする。
でも、みんなと違う弟がいて嬉しい部分もある。弟に話を理解してもらうためには、どのように説明すれば良いのか頭を使う。でも頭の運動になるし、ラッキーだ。小学二年生だが、まだ幼稚園児くらいの弟がいるような気分にもなるし、私は嬉しい。
私の中で弟は「ごくふつう」だ。弟が生まれてもうすぐ八年。腹が立つ時もあるけれど、私にとっては「ごくふつう」のめんこい弟だ。

母から「ふつうってなんだと思う?」と聞かれた時に「ふつう」について考えた。ふつうとは何か調べると、「広く一般的に通用する状態や、特に変わったところのない状態」と書いてあった。日常の中で「ふつうにおいしい」「ふつうにうれしい」「ふつうに嫌だ」とよく耳にする。このように書き出してみると「ふつう」とは。とてもあいまいな表現だと感じてしまう。母が言われた「ふつうの子より」という言葉には、「平均的には」「標準的には」「多くの同年代の子は」という意味が込められているように感じた。弟は、標準的な同年代の子と同じことができない。「ふつうじゃない」と、間接的に言われてしまったのだと思った。なぜか、弟のことを否定されているような気持ちになった。悲しかったくやしかった。

自分で着替えができて、自分でご飯を食べることができて、自分の気持ちを伝えることができて勉強も理解できる。相手の気持ちを考えることができて、先のことを考えて行動できる。これがふつうなのだろうか。
「ふつう」に関する認識は人それぞれ違うと思う。「ふつう」の基準が同じ人はいないと思っている。物事に対しての意見を「そう思っている人の割合が多い」「そうする人の割合が多い」ただそれだけで「ふつう」とする人がほとんどだと思う。同じ意見を持つ人が多いというだけで、それが標準かというと違うと思う。少人数の意見の方が正解していることもある、だから、ふつうはないと思っている。父、母、私、妹、弟、祖父母、友人、先生、みんながそれぞれふつうで、それぞれが個性。私はそれでいいと思う。「みんなちがって、みんないい」という一節がある。一人ひとりの個性や違いを認め合うことの大切さを意味しているようだ。世界人口は約八十億人を超えている。誰一人として同じものではない。様々だと思う。だからこそ弟のことを「ふつうの子よりも」と言われるのは疑問でしかなかった。
弟は、二年生ということを理解している。勉強も運動もとても頑張っている。でも、なぜ支援学級にいるのか、自分ではまだ理解していないと思う。
弟が自分のことを理解できるようになった時、今以上に一人ひとりが個性や才能を認め合い、一人ひとりが自信を持って生きることができ、「ふつう」という言葉にとらわれることのない世の中になっていてほしいと私は願っている。
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