【優秀賞】小さな勇気が大きな一歩に 大玉中学校2年 渡邉凜
小さな勇気が大きな一歩に
大玉中学校2年 渡邉凜
ある日の昼休み、いつも通りの賑やかな教室で、私は、友達と話をしていた。すると、後ろの方から高い笑い声が響いてきた。その笑い声は嫌な笑い声で、悪ふざけをしている予感がした。振り向くと、そこにはクラスメイトの男の子が数人集まり、誰も座っていない机を囲んでいた。その机は、特別支援学級にかよっているAちゃんの机だった。Aちゃんは今この教室にいない。机を囲っていたグループ内の一人の男の子がだれかのシャープペンシルをAちゃんの机に置いた。そして、そのシャープペンシルをまるで汚いものかのような持ち方で周りにいたほかの男の子に触らせた。机を囲んでいたほかの男の子たちは、笑いながらわざとらしく逃げ回っていた。置かれたシャープペンシルはばい菌のような扱いをされていた。
私はその場で何も言えなかった。けれど、「どうしてそんなことをするのだろう。」、「やめてほしい」と心の中では思っていた。でも私は口を開くことができなかった。「雰囲気が悪くなるかもしれない」、「自分も馬鹿にされるかもしれない」という小さな恐怖心が口を閉ざしてしまった。私はただ黙って、友達は馬鹿みたいという視線を送り、その場面を見ているだけだった。たとえAちゃんがこの教室にいても、いなくても、私たちは同じ行動をしてしまったと思う。
放課後、家に帰っても、その場面が頭から離れなかった。もし自分がAちゃんの立場だったら、自分の席を避けられ、笑いものにされるのは耐えられないし、深く傷つくだろう。分かっているのに、周りの人は注意もせず、ただ見ているだけなのが情けなく思う。「私たちが一言言えば変わったかもしれない」と小さな恐怖心に負けてしまったことをすごく後悔した。
翌日、Aちゃんはいつも通り教室に入ってきた。笑顔はなかった。もしかしたら、昨日の状況を目にしてしまったのではないかと思った。いままでも本人がいないところでの嫌がらせは数回あった。そのたびに皆見て見ぬふりをしていた。本当は気づいているのかもしれない。だけど、何も言わずに受け流しているのかもしれない。もし、Aちゃんが知らないふりをして教室に入ってきているのだとしたら、その優しさに甘えているのは私たちなのかもしれない。
あの時、私はただ立って見ているだけだった。
声をかけることはできたはずなのに。「そういうことしないで」この一言だけでよかったのに。けれど私は、周りの目や、笑い声に押され、何もできなかった。その場の静けさや気まずさを恐れて、自分の心より周りの空気を優先してしまった。
もし、あの時、勇気を出して言えていたら、ばい菌扱いする動きも、わざとらしく逃げる動きも、少なくとも一瞬は止まったはずだ。そうしたら、Aちゃんの笑顔を少しでも取り戻せたかもしれない。そう考えながらその場をあとにした。
それから、掃除のときに同じことが起きないようにAちゃんの机をなるべくはやく運んだり、同じ班の授業のときにいっしょに居たりと同じことが繰り返されないように自分なりにAちゃんが安心できるような行動をするように心がけた。これをやっていたらAちゃんにいろいろやっていた人たちに何と思われようといいと思えるようになった。今までの私とは違う、そんな小さな一歩を踏み出せた。
見て見ぬふりは、差別やいじめを黙認しているのと変わらない。直接傷つけていなくても、それを止めなければ加担しているのと同じだ。傍観者になってしまう。私がそのことを本当の意味で理解できたのは、この出来事を体験したからだ。
「いじめはなくならない」と授業で習った。それは、人によっていじめの捉え方が違ったり、被害者がいじめだと思ったらいじめになってしまうからだ。この通りいじめがなくなる確率は低いが減らすことは可能だ。いじめを減らせると、Aちゃんのような事をされたり、したり、目にする人が減り、安心した学校生活を送れる人が増えると思う。また、心身の健康にもつながると考える。そして、自分が加害者や被害者、傍観者にならないようにするためにもいじめは減らさないといけないと思う。
人権は、教科書やポスターに書かれたきれいな言葉だけではない。「思いやり」や「平等」は日常の小さな場面でこそ試される。あの日の事は私にそれを強く教えてくれた。
「それはだめ」と言えるようになりたい。たとえ一人でも、誰かの味方になれる人になりたい。見ているだけではなくて面と向かって話ができる勇気のある人になりたい。あの時何もできずにただ立って見ているだけだった自分を乗り越えられるように。
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