【優秀賞】平和のために、私たちがすべきこと 大玉中学校3年 矢崎祥史
平和のために、私たちがすべきこと
大玉中学校3年 矢崎祥史
戦後八十年となるこの夏、僕は広島を訪問し、「全国平和学習の集い」や「平和記念式典」に参加し、原爆ドームや平和記念資料館を見学して、核兵器の悲惨さ、平和の尊さを学びました。そして、これらの活動を通して、未だ争いの絶えない世界の中で、私たちがすべきことを考えました。
「全国平和学習の集い」では、被爆体験証言者の才木幹夫さんの講話を聴き、その後、戦争や平和についての二つのテーマについて、全国の中学生や高校生とグループ・ディスカッションをしました。才木さんは、十三歳の時に、爆心地から二.二キロメートル離れた自宅で被爆しました。才木さん自身は、奇跡的に無傷だったものの、多くの大切な人を失いました。講話の中で才木さんは、「亡くなった身近な人たちのことを思うと、今でも生きていることが辛く、済まないという気持ちになる。」と語りました。一発の原子爆弾によって、多くのものを失い、生きていることが辛いと感じる過去があったことに、僕は心が痛みました。
グループ・ディスカッションでは、「平和でない状態を解決するためにはどうすればよいか」というテーマで話し合いをしました。話し合いをして、平和でない状態とは、戦争や紛争、いじめや対立によって、心身が痛むことであるとわかりました。そして、それらを解決するためには、自分を客観的に見たり、相手の気持ちを考えたりするなど、一人一人が、考えを見直すことが必要であるという結論が出ました。世界が平和になるためには、年齢や国籍などにとらわれず、全員が同じ方向に向かって、ゆずりあいながら前に進んでいくことが大切だと思います。
今年の「平和記念式典」には、過去最多となる百二十の国と地域が参列しました。式典の中で心に残った言葉があります。それは、平和への誓いで、こども代表の佐々木駿君が話した「One voice.たとえ一つの声でも、学んだ事実に思いを込めて伝えれば、変化をもたらすことができるはずです。」という言葉です。佐々木君は、平和記念公園で外国人観光客に英語で広島の歴史と平和の尊さを伝える活動をしています。戦争を知らない自分たちでも、八十年前に起きた辛い過去を重く受け止め、戦争を知る人が少なくなっているこの時代から、次の世代へと平和への思いを受け継いでいくことはできます。僕は、この佐々木君の言葉に平和への思いと責任感を突き動かされました。
日本は、第二次世界大戦の反省から、戦争の放棄を掲げています。しかし、未だに世界では、ロシアとウクライナや、イスラエルとパレスチナなど各地で戦争や紛争が起こっています。また、現在、世界では、九か国の核保有国によって、一万発を超える数の核兵器が所持されています。そのため、核兵器が地球からなくなるまで消えないという平和記念公園の「平和の灯」は、今も燃え続けています。
平和記念公園に「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた原爆死没者慰霊碑があります。世界の中でこれほど争いが続く中で、原爆犠牲者たちは本当に安らかに眠れるでしょうか。これらの問題を解決し、核兵器のない平和な世界をつくるために、世界唯一の原子爆弾の被爆国である日本に住む私たちが、行動を起こさなくてはなりません。自分の行動が、世界中の戦争が終結することや、核兵器がなくなることに直結するとは限りません。しかし、私たちの平和への願いは、まず身近な人と共有し、世間に広めていくことで、必ず、形になっていくはずです。
そしてそれは、身近に起こりうる、いじめや対立に対しても同じことがいえます。いじめや対立は、双方の意見や考えの違いによって起こるものであり、相手の意見や考えを認められないことによって激化してしまいます。意見や考えが異なってしまうのは、多くの感情を持った人間である以上、避けられないことだと思います。しかし、人間は、話し合い、相手の立場に立って考えてみることで、お互いに歩み寄り、平和な方向に導くこともできます。相手の立場や気持ちを知り、お互いを認め合うことで、いじめや対立を避けることができると思います。
八十年前の八月六日、一発の原子爆弾が広島に投下され、一瞬にして、自分の愛するものすべてが奪われた辛い過去。二度と同じ過ちを犯さないために、私たちはこの事実を決して風化させてはいけません。私たち若い世代が、原爆被爆者の思いを語り継いでいかなくてはなりません。戦争や核兵器が世界からなくなり、平和記念公園の「平和の灯」に込められた願いが叶うように、僕は平和への思いを紡ぎ続けていきます。
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大玉村TEL:0243-48-3131FAX:0243-48-3137
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