戰死三十一人墓

戰死三十一人墓

史跡
所在地 大玉村玉井字権現目11
 戰死三十一人墓は、戊辰戦争時の慶応四年(一八六八)八月二十日の玉井村山入、(現在の大玉村玉井字瀬戸原付近)の戦いで、西軍を迎え撃った東軍戦死者の墓である。これらの戦死者は、地元住民により玉井権現目墓地に手厚く葬られた。権現目墓地は、村道竹ノ内南小屋線の道路沿いにある。

 山入地区には会津方面へ通じる母成街道や石筵街道があり、戊辰戦争時、この地区が会津戦争の最前線となった。

 現存する墓は、明治二十七年(一八九四)八月二十日に再建されたものである。石材は自然石で、朱が施されたとみられる痕跡があり、隣接する玉井字西ノ内からのものが使われたと伝えられている。
 なお、開眼主相應寺住職法印信毘は第四十一世、佐伯隆栄は第四十世である。


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