【佳作】共に 大玉中学校3年 伊藤琉生

共に
大玉中学校3年 伊藤琉生
 
 あなたは目の前で差別を受ける人や、その加害者を見たことがありますか。ニュースやインターネットで差別について調べると、何十何百と、違いを認める事のできない人類の負の歴史というべき出来事が画面いっぱいに表示される。日本から海外まで、世界中で行われる差別だが、僕は一度も現場を目にした事がない。
 「差別の現場なんて見なくていいし、見えなくていい。」と言う人がいた。優しく、助言するように話す口とは反対に、その目はどこまでも冷たかった。見なくていい・見えなくていい。僕はこの言葉に違和感を感じずにはいられない。それはつまり、他人事になっているのではないだろうか。どうでもいい事ではない。肌の色や性別、考え方が違うだけで人権を奪われ、幸せに生きられない人が、この瞬間も悲鳴を上げている。あなたの周りの人達は、皆同じ肌の色で、同じ性別、同じ考え方だろうか。無表情に遠くから見ている人達が関心を持つことが解決への道だ。
 人種差別については、僕達日本人も関係のない話ではない。近年欧米諸国を中心に、日本人を初めとするアジア人への差別的な事件が増加している。最近では、道を歩いていたアメリカ在住の日本人女性が、通りすがりの男性からいきなり暴行を受けたり、アジア系の男性が電車内で差別的な事を言われたりするなどの残念な出来事が起きている。アジア系の人種というだけで、なぜ殴られ、暴言を吐かれなければならないのだろう。女性を暴行した男性はこう言った。「コロナウイルスはアジアから来た。あいつらのせいだ。」と。差別の要因はいつも理不尽なもので、テレビの画面ごしに僕は怒りを感じた。この気持ちは、長年差別されてきた人々も同じ想いだったに違いない。
 僕は数字が苦手である。分からない問題があると、数学が得意な友人に教えてもらう。その友人の苦手な部分が僕が得意な教科の時は、今度は僕がアドバイスをする。小さな例だが、人それぞれに得意、不得意があり、足りない所は補い合うことで社会は生きやすくなる。それぞれが持つ違いや個性はきっと誰かの役に立つ。だからこそ、同じ人間は一人としていない、かげがえのない存在だ。
 女性だから、この仕事ができない。と言う人がいる。障害を持っているから、あれもこれもできないと言う人がいる。果たして本当にそうなるのか。古いイメージは代々受け継がれて、なかなかくつがえされない。だがその単純な決めつけで、その人を否定し、本来の力を制限させる事も、僕は人権侵害なのではと思う。様々な仕事において、多くの優れた女性がいる。目が見えなくてもプロの料理人として活躍する人や、耳が聞こえなくても歌い、世界中を感動させる人がいる。男性と女性。健常者と障害者。そんな壁はない。優劣もない。人を認める事には、相手が自信を持ち、胸を張って生きる効果がある。しかし決めつけや差別からは怒りが生まれ、生きづらさが伝染するだけで、互いにとって良い事は何一つ起きない。
 体の特徴だけでなく、愛の形でさえ、指さして笑い、変だと言う人がいる世界を、あなたはどう思うだろう。現在、日本では十人に一人がLGBTQと言われている。男性が女性を好きになり、女性が男性を好きになるのとは限らない。人として生きることは、男性か女性どちらかとして生きるという事ではない。皆、自分の思うように人を愛し、自分という人間をもって生活している。世間体や常識といった、多い方を正常、少ないほうを異常とした薄っぺらいものに縛られて、自分自身に嘘をついて、周りの視線を気にして生きる事は幸せだろうか。隠れたり、誰かに決めつけられて生きるのはとても辛いものだ。苦しんでいる人もいるが、パレードなどを各地で行いLGBTQについて認知してもらう活動をしている人達もいる。あなたは彼らを変だと思うのだろうか?
 「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」とアインシュタインは言った。あなたにとっての普通の人とはどんな人か。その普通は、誰にとっての普通なのか。差別を長年の人間の文化といて見すごすか、ここで終わらせるかは、今を生きる一人一人の人間次第だ。一人が声を上げたら、一人がふり向く。二人で声を上げたら五人がふり向く。そうやって良い方向にも悪い方向にも、傾くのだ。一人の力は、大きい。
 障害を持つ人にも利用しやすい公共の物をよく見るようになった。LGBTQの人に配慮された内容の子供向けテレビ番組が流れていた。今の現状を変えようと、差別の無い世界を生きようとしている人達が、少しずつ未来に向けて歩いている。僕はこの人達に続きたい。人権を奪うのか、奪われるのか。守るのか。あなたはどうする……?
 
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