【特選】私が目指す言葉 大玉中学校2年 高橋はな

私が目指す言葉
大玉中学校2年 髙橋はな
 
 言葉には力がある。時には人を傷つけ、時には人を救う。同じ言葉でも、使う人や聞く人、伝え方やタイミングなどで、全く違う意味になってしまうことがある。だからこそ、自分が発する言葉には責任を持たなければいけないと、私は思う。
 言葉に敏感は私は、普段から相手の気持ちを考え、言葉を選んで話しているつもりだが、果たしてそれが正しいのか、自問自答をしてみると、自信を持って「はい」とは言い難い。「バカ」や「うざい」などの言葉は、誰もが不快に感じる言葉で、使ってはいけないと認識できるだろう。しかし、言葉には「自分だけが感じる不快で傷つく言葉」があって、何気ない一言で相手を傷つけてしまうこともある。無意識に言った本人は、全く悪気がなかったとして、聞き手側が不快な思いをすれば、それは、相手を傷つける言葉になる。
 「はなちゃんは、こういうの、興味はいだろうから。」今、話題の話で盛り上がっる女子達の会話に「何の話してるの?」と、問いかけた私に返ってきた言葉だ。なぜ私には興味がないと決めつけられたのだろう。「興味がないのに混ざってこないで。」と言われているように思えた言葉だった。しかしそれは、私の勝手な捉え方であり、もしかしたら、悪気など全くなく、興味がない話を聞いてもつまらないだろうと、気遣ってくれたのかも知れない。そう考えれば、その言葉は善意とも解釈できるが、その時の私は淋しかった。興味があるとか、ないとかではなく、話題を共有し一緒に楽しみたかった。
 「はなちゃんは、私たちとは違うよねー。」そう言われた時には、「私の何が皆と違うのだろう。違うって何だろう。」と本気で悩んだ。何気ない一言が気になり、そこに壁を感じてしまった。しかし、この気持ちは、私にしか分からない。考えすぎて、心が苦しくなった時、友達との関わりに苦手意識を抱えてしまう自分がいた。
 わざとではなくても、言葉によっては、人の心に傷をつくる。それは、暴力で身体的な傷を与えるよりも、もっお大きな傷を与えることもあるだろう。だから、思ったことを軽はずみに口にするのではなく、相手の心情を想像して話す力を身に付ければ、対人関係もうまくいくのではないか、と考えた。
 一方で、言葉には人を救う力もある。応援の言葉は、何よりも大きな力になるし、辛い時や悲しい時の励ましの言葉は、心の支えとなる。心配性で一歩踏み出す勇気が出ない私は、相手から後押しされた言葉によって、やる気が出たり、行動に移せたりと、心が救われたことがたくさんある。
 忘れもしない、それは中学校入学式の日のことだ。新入生代表として私は、誓いの言葉の代表を務めさせていただいた。ただでさえ心配性の私なのに「大勢の前でマチガエずにできるだろうか。」と考えれば考えるほど、不安で仕方なかった。さらには、これから始まる中学校生活においての不安ものしかかり、心が押しつぶされそうなくらい不安一杯の春休みを過ごして、入学式の日を迎えたのだ。練習に練習を重ねた結果、当日はミスをすることなく、私なりに精一杯任務を果たすことができたと思うが、その日の不安と緊張はとても大きく、自分の力で抑えることは困難だった。そんな私の心を救ってくれたのは、当時の担任の先生だった。入学式終了後、教室に戻ると、「すごく堂々としていて、かっこよかったですね。」とみんなの前で、拍手をしてくださった。その瞬間、私の中の不安な気持ちが一気に吹き飛び「今日まで必死にレンシュしてきてよかった。」という安堵感と「このクラスで頑張っていけるかも知れない。」という期待感で心がスーッと軽くなり、笑顔になれたことを今でもはっきりと覚えている。それからも先生はいつも私の心を救ってくださった。日々こ出来事を書くノートに不安な胸の内を書いた日は、「先生にも分かるよ。」など共感や温かい言葉を、嬉しかった事を書いた時は、「先生も嬉しいです。」など喜びの言葉を……。その日の私の気持ちにいつも寄り添い書いてくださった、その一言一言が本当に嬉しくて、何事にも自発的に全力で取り組むことができた。先生の言葉が、私の気持ちを強く前向きな姿勢に変えてくださったのだ。
 「毎日欠かさず丁寧に書いて提出してくれて嬉しかったです。何事にも前向きな姿勢でがんばってくださいね。」一年生最後に先生ざ書いてくださった言葉。その言葉をいつも心に留め、何事にも丁寧に、努力を惜しまず前進している。先生の温かい言葉が詰まったノートは、私の心の支えであり、大切な宝物だ。
 言葉の力は偉大だ。だからこそ、使い方を間違ってはいけない。私も相手の心情を想像しながら話せる人になりたい。先生のように。
 
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