【佳作】 虐待から生存権を考える 大玉中学校1年 石川結彩
虐待から生存権を考える
大玉中学校1年 石川結彩
今回の人権作文で、私は「生存権」ひとつに絞って書こうと思います。
生存権は、日本国憲法第二十五条に、「国民のすべてが健康で文化的な最低限の生活を営む権利があることを認めるとともに、国は社会保障の整備に努める義務がある。」とあります。
つい先日、0歳の赤ちゃんが、今年の異常な猛暑の中、車内に放置されて死亡してしまいました。二〇一五年には、神奈川県秦野市で四歳の男の子が両親の暴行を受け、意識不明の重体で入院し、意識を取り戻すことなく、一年後にこの世を去りました。二〇一六年、千葉県市川市で、会社の部下の六歳の息子を「叱るつもり」で床に何度もたたきつけ、重傷を負わせました。また、同年、東京都練馬区で、三十六歳の母親が、生後たった六ヵ月の長女、嘉?音ちゃんをタオルで口をふさいで殺害しました。
また、二〇一八年には、京都府の特別養護老人ホーム「安寿の里」で、のべ十六名の入所者が不自然なけがを負っていたことが判明しました。五人が骨折をし、体に多数のあざや皮下出血が見られました。さらに、耐えがたき暴言を浴びせられたり、無理な体勢で放置されたと確認されています。
府や宮津市によると、人的な意図的な虐待であると断定しています。
このような養護施設従業者による高齢者虐待の相談、通報件数と虐待判断件数の推移を見てみると、平成十八年度には、相談、通報件数が二百七十件、虐待判断件数が五十四件でしたが、平成二十七年には、相談、通報件数は一,六百四十件、虐待判断件数が四百八件に大きく伸びています。
障碍者への虐待もあります。平成二十八年に、兵庫県内の福祉施設で、職員による虐待がありました。支援員がプロレス技の「ラリアット」を障害者に打ち付ける暴行を加えたり、障害者を転倒させて引きずりながら別室に連れていったケースがあったそうです。さらに、津市では複数の職員が知的障害者かあるデイサービスの利用者に対し、暴行を断続的にほぼ毎日浴びせる虐待を行い、一人の利用者が自殺をしてしまいました。知的障害者のため、その直接原因がデイサービスにあったのかどうか不明瞭のまま、遺族は泣きねいりをせざる負えなかったそうです。二〇十七年、青梅市では、障害者支援施設に入所している二十八歳の男性が、職員によって、布で手足を拘束され布団の中にきつく巻きつけられて、窒息死してしまいました。
私がなぜこの事例を書いたかというと、日本国憲法の「生存権」というものが本当に、国民すべてに「保障」されているのか、と疑問に思ったからです。
私のように身体も知能も健康であれば問題はありません。しかし、前述の例で取り上げた「乳幼児、児童」。「身体の不自由な老人。」「身体及び知的障害者」の方々は自分の意志決定通りになりません。重度であればその意志すら持てません。けれどみんな「生きて」います。息をしています。脈を打っています。鼓動しているのです。私は幼い頃より、「強い者が弱い者を助ける」ことは当たり前であることを教育されてきました。そして、中学一年生になった今、その本質を理解しつつあります。しかしながら、虐待の事件のほとんどが成人です。子供の虐待に至っては「親」です。そこに「生存権」は存在しないのでしょうか。本当に悲しく、嘆きかわしいことです。何のための憲法なのでしょうか。
頭脳明晰な政治家は学者がいくら立派な法律を作り、改正しても、そこにあるものが無ければ成立しません。そのあるものとは、「人の心の痛みをわかってあげれる心」だと思います。生存権厳守に限らず、人が人として生きていくためには、全員がこの気持ちを持たなければなりません。もし、そうであれば、全世界での戦争、紛争、殺傷事件などのすべての争いがなくなることでしょう。そのために必要なのは「教育」です。幼い頃からその優しい心を親が先生が愛情を持って注いであげるべきです。反対の視線から見れば、それを注ぐ側は、すでに「その心」を持っていなければなりません。私はまだ中学生です。小さな力しかありません。世界の、日本の心を治す力などありません。でも、その小さな力でもたくさん集まれば大きなパワーとなり、少しでも良い方向に変えることができるはずです。そこにはやはり行政の力が必要です。無知な私にはそこに頼らざる負えません。情けのない事ですがそれが事実です。時間はかかるでしょう。でも、日本人はもともと心の優しい民族です。いつか必ず痛ましい虐待の事件のニュースが流れなくなる日が訪れるはずです。私はそう信じて、私自身も「心の修練」をしていきます
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