【佳作】 障害者に対する思い 大玉中学校1年 渡邊遙子
障害者に対する思い
大玉中学校1年 渡邊遙子
私たちは障害者にとって、うらやましい者なのだろうか。そう考えてみると少し悲しい気持ちになる。だって障害者は、私たちと同じ人間なんだから。なのに差別されたり、いじめをうけたりする。だから私は、障害者に対する思いを考えてみた。
私は、障害者を見たことが何度かある。家族と出かけているとき、右足のひざから下がない状態で過ごしている人を見た。私は信じられなかった。車椅子でずっと過ごすなんて、私には一方的に無理だった。しかも、その人の表情は笑顔でニコニコしていた。なぜ、右足のひざから下を失っているというのに、笑顔でいられるのか不思議に思い、それと同時に疑問に思った。障害者を見たというのは他にもあった。白いつえで、体を支えているおじいさんを見た。足をけがしたりしたのかなと私は思ったが、お母さんに聞いたら、その人は目が見えない、視覚障害だとのことだった。「目が見えないって辛いんだな。この世の中の自然や歴史、家族や友達のことを見ることができないなんてかわいそうだな。」と私は思った。私は障害には、どんなものがあるのか知りたくて、インターネットで調べてみた。そこでは、精神障害、知的障害、身体障害、嗅覚障害、視覚障害、聴覚障害などがあることを知った。私は、障害者は、辛いことがたくさんあるんだなと思った。でも、家族や友達、地域の人々にたくさん支えられて生活していることは、すこしうらやましいなと思った。
私は自分の目で見て、感動したことがある。それは、きれいな風景である。私が目が見えなかったら、きっと後悔しているだろう、と思った。でも、目が見えない人はその逆の考えをしているのだろう。自分の目で見るということのうれしさを味わってもらいたいなと思った。でも、私の目がここにあってよかったなと思った。目が見えないことだけじゃなく、耳がきこえない人だっている。その人だって、自然の音をきけない人も辛いだろう。耳がきこえない人は、手話で人と会話をしている。そんな日々がずっと続くなんて私には無理。でも、そうやって過ごしている人はこの世の中にはたくさんいるはずだ。目が見えない人や、耳がきこえない人は私と同じ人間だけど、どこかが違う、という思いで生活していきたい。自分が嫌なことを人がされていたら、私は心が沈む。心がまっ黒になる。
他の人だって、私と同じ気持ちになっているはずだ。嗅いが分からない人も、辛い思いをして過ごしている。生まれつきの人はよっぽどだ。なのに笑顔で日々を過ごしている人がいる。なぜだろう。私にはそんなことはできない。私の頭の中には?だけが示されていた。心の障害者だって、自分はそうしたくないのに、やってしまうという、悲しい障害なのだ。でもそれは、しょうがないと思った。だって自分がそうなりたいと思っていないんだから。思い通りにいかない毎日を過ごしている障害者はすごいと思う。だって人間は、自由に生きていく者なんだから。欲しいものは買って、食べたいものは食べて、やりたいものはやって…というくり返しの日々を過ごしているんだから。なのに障害者はその日々を送れない毎日を過ごしている。「逆にすごい」と私は勝手に思ってしまったけれど、本当にそうなんだ。
私は障害者を悪く思わないで、やさしく接してあげられる人になりたい。そのためにも、障害者に対する思いを考えてみたものだ。人間は人間。食べ物は食べ物。それぞれ違う種類があるけど、みんな等同だ。でも、私は、分かっている上で、これからも障害者に対しての思いを深く考えてみたいと思った。自分がされたら嫌だ。という相手の思いを読んでから、自分の思いを共感してあげたい。それと同時に障害者の辛さ、悲しさ、痛さなどのにくしみを頭に入れて、これからの自分の将来の生活をよりよくしていくように、いろいろ頑張りたいと強く思った。その思いに対して、いじめや悪口をうけている障害者の辛い思いを分かっている上でも生活に転く過ごしていきたいと思った。自分がされて嫌だなと思ったこと、いじめをしないことを心にちかい、障害者とはやさしく接してあげられるような人になりたい。そのためには、その習慣を毎日続けられるようにしたい。人それぞれの性格や個性はまったく違うから。そのときの接し方を考えながら、相手の気持ちを思って生活したいと思った。
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