【佳作】 言葉の重み 大玉中学校2年 佐藤悠道
言葉の重み
大玉中学校2年 佐藤悠道
僕は自分専用のスマホ、タブレットを持っていない。周りの友達の半分以上の人が自分専用のものを持っている。そんな友達がうらやましく思える。スマホがあれば、色々なことを調べられる。音楽も聴ける。ゲームもできる。友達とやりとりもできる。できることが多い。その反面、色々な人とのつながり、顔を知らない人とのつながり、世界中の人とのつながりを少し怖くも思う。なぜなら、インターネットでは、よくないことが起きているからだ。誹謗中傷、偏見、心への暴力。
この夏ある事件が起きた。七月十二日、午後五時半ごろ、テレビなどで活躍していた芸能人が意識不明で発見され、その場で死亡が確認された。(朝日新聞デジタルから一部引用)
その事件に対してある芸能人がSNSでコメントを出した。
「嘘でしょう?信じられない信じたくない…………悲しくて時がとまったよう。」(一部引用)
死因は、はっきりとは分からないが、SNSを通した、誹謗中傷だと思われるそうだ。人を傷つけて、その上、死にまでおいこむなんてひどいと思う。人をインターネットという顔が見えないことを悪用し、言葉の暴力を浴びせ、人を死にまで追いやった。その上、投稿を削除するなどの証拠を隠滅する行為を卑怯だと思う。投稿者も自分がそのようなことをされたら、嫌だと思う。でも、投稿者も思いやりの心、人を敬う心はどこかにあると思う。でも、自分が正しいと思う心の方が大きいと思う。だからそのままコメントを投稿して、人を傷つける。このような、自分の思っていることが正しい、自分が正しいと思って投稿してしまう人は歪んだ正義感を持った人だ。このような人たちは、人を傷つけたくて投稿したわけではなく、自分の意見が正しい、いわなきゃ、スッキリしないということで投稿してしまうのだ。それ以外の人は、人を傷つけたくてやっていると思う。
人にはよくない性質がある。大勢の意見に、ただ賛成して、別な意見を持っている人に対して、「そうだそうだ。」と言い、自分の意見を言わないこと。もう一つは少数派の意見をつぶすことだ。
小学校のころ、おにごっこをした。一人以外はみんなつかまって、おに役になっていた。
そうしたら先生が「三対一は卑怯だから、おには一人だけにしたら。」と言われた。話し合いでも、少数派が勝ったことは二回ぐらいしかない。なぜ多数派にただ、納得して、自分の意見を言わないのか。
なぜ少数派は、勝てないのか。それは、まず少数派は、人数が少ないので意見が少ない。少ないと、意見で負けてしまう。それに、人数が少ないので、多数派よりも安心感が全然違うからだと思う。友達百人に、これどう思うと聞いたら、九十九人はこうと、同じ意見を言ったが、一人はそうと答えた。どっちの意見が、安心できるかと言ったら、たぶん、ほとんどが九十九人の方を選ぶだろう。やはり、安心、信用ができると思う。
誹謗中傷は、一人が大勢の人に傷つけられて、傷つけた人が悪者になる。その悪者を追い払うために、多くの人が、「なにやってんだよ」とか、「頭おかしいだろう」という意見が多くでる。そして、やりすぎてしまうとその人たちが悪者になる。その悪者を追い払うために、多くの人が…………の繰り返し、悪循環。これはなかなか止められないと思う。けれども、少しづつでも止めるためには、言葉が必要だ。
言葉は、言い方や、言葉選びによって、変わってくる。一言で元気づけたり、一言で変わってくる。一言で怒らせたり、一言で悲しませたりできる。でも、今回の事件では、「死ね」という言葉が一人に、浴びせられた。そんな言葉いらないと思った。だれもが言われると、嫌がる言葉だと思う。言葉の重みの中でも最重量級だと思う。そんな言葉を、何度も大勢の人からポンポン浴びると、その言葉の重みにたえられなくなってつぶれてしまう。言葉を発言するのにも責任が伴う。その責任を持てないなら、発言、投稿しない方がいい。
言葉にも魂があると言われている。その力のある言葉を良い方向に送るのか、悪い方向に送るのも、その人次第。人を助ける、人を喜ばせる、人を楽しませる言葉として送りだしていこうではないか。
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