【佳作】 戦争の想像と平和の創造 大玉中学校3年 小沼駿斗
戦争の想像と平和の創造
大玉中学校3年 小沼駿斗
僕には九十四歳の曽祖母がいます。僕の曽祖母はどんな食べ物もにもソースや砂糖をたくさんかけます。トマトに砂糖をかける人はいますが、曽祖母は小松菜のおひたしに砂糖をかけます。コロッケには衣の茶色の部分が見えなくなるまでソースをかけます。そんな曽祖母に僕の母はこんなことを言いました。「なんでそんな食べ方するの、美味しくなくない?」
曽祖母は笑ってこう答えました。「戦時中は本当に食べ物が無かった。だから砂糖でも私にとってご馳走なんだよ。」僕は、はっとさせられました。あたりまえのように食事ができる今がどれだけ幸せなのかを改めて考えさせられたのです。
戦争をしても何もうまれません。うまれるのは悲しみや苦しみだけです。戦争をするとどうなるのか。なぜ戦争をしてはいけないのか。そんなことは小学生でも簡単に想像できることです。しかし今も昔も戦争は起きています。ほとんどの戦争が一部の人間の利益のためです。地位がほしい。土地がほしい。あの国を自分のものにしたい。そんな一部の人間しか得のしないことのために争いを起こすのです。戦争をすることで自由は奪われ、食事もできず、良いことなんてひとつもありません。「人権」という言葉を調べてみると、「誰もが生まれながらにして持っている、人間として幸せに生きていくための権利」と書かれています。戦争は人権を完全に無視し、否定する行為です。つまり、逆接的に言えば戦争をしないことで多くの人権を守ることができるのです。
戦争をなくすためには、戦争を「想像」し平和を「創造」する必要があると考えます。
戦争の「想像」とは、戦争の恐ろしさを考えるということです。僕の父は自衛官です。武器を使い、体を鍛え、日々訓練しています。家に帰ってこない日もあたりまえのようにあります。どこで、どんなことをしているのかは分かりません。ですが、その訓練は訓練のままであってほしいと思います。父も実際に「自衛隊が活躍しないのが一番」と言っていました。人は「想像」することができます。ですが戦争を「創造」するのは人です。なんのために武器をつくるのか。武器をつくる知識や時間をもっと違うところに使うことができないのか。もっと平和的な解決方法が絶対にあると思います。戦争を想像することが平和の創造につながります。そして平和の創造が人権を守ることにつながると思います。
僕は戦後七十八年を迎えた今年広島に行く機会がありました。そこで僕は戦争の「想像」をすることができました。広島の資料館には、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や絵などの資料が展示してありました。焼けこげた服や建物、そして皮膚がただれ苦しむ人々。中でも原子爆弾によって地面に人の影が残っていたのは印象的でした。どこに目を向けても目をつぶりたくなるようなものばかりでした。戦争になんの関係の無い僕が写真を見るだけで悲しくなりました。七十八年前に広島で起きたことに対し、福島県で育った十五歳の僕が悲しくて、胸が痛くなったのです。その時代に生きた人がどれだけ辛い思いをしたのかと思うと心が苦しいです。その時代に生きた人々だけでなく、受け継がれている話を聞いた人々にさえも心に影響を及ぼすのが戦争です。「これが戦争か」と思い知らされました。戦争の悲しみは世代をこえていくのです。
僕は、曽祖母の何気ない言動から戦争と人権についての理解を深められたと思います。戦争をしてはいけない理由を「想像」すること。そして自分たちの力で平和を「創造」すること。これが人権を守る一つの方法だと思います。また戦争をしないためには、「戦争をしてはいけない」という気持ちを大人になるまで持ち続ける必要があります。戦後七十八年経ちました。今は戦争を経験したことのない人の方が多いです。いかにこの悲惨な過去を次の世代に伝えていくことが重要だと思います。
基本的人権の中で一番大事な権利は、「個人の尊重と幸福追求権」と日本国憲法で定められています。今回僕が注目したのは「戦争」と「人権」です。ですが「人権」と一言で人権と言ってもいろいろな人権があります。僕がたどりついた答えが正しいとは限りません。ですが、「人権」について自分の中での答えをさがし、追求していくこと。これも一つの権利なのではないでしょうか。
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