【特選】 大玉中学校2年 無意識のうちに感じていること 渡邉希心

無意識のうちに感じていること
大玉中学校2年 渡邉希心

「聞こえてきたのは男性の声ですか?女性の声ですか?」

ある日、何も考えられずぼーっとテレビを見ていた私はそのコマーシャルのフレーズにはっとさせられました。朝食時のシチュエ―ションで、「ごはんだよ」と呼ぶ声。「将来の夢はパイロットです」と発表する生徒。ぬいぐるみ売場で「ピンクがいい」という子供。「子供の体調が悪いので有休をください」という親の声。今となっては、くわしく思い出すことができないが、こんな内容だったと思う。無意識のうちに「ごはんだよ」と呼ぶ声や「ピンクがいい」「子供のために有休」は女性だと感じてしまうし「将来の夢はパイロット」という声は男性だと思ってしまう。男女平等、差別しないなんて頭で分かっていても、いざ無意識に分けてしまっている自分が少しはずかしかった。コマーシャルの最後のフレーズを聞いてから、食事は男性が作ってももちろんいいし、子供のために有休をとるのだって男性でもいい。実際、私の父は時々仕事を休んで私を病院に連れて行ってくれたり、体調が悪い時はいっしょに家にいてくれたり、母が忙しい日は料理を作ってくれたりもする。

「ピンク男子」なんて言葉を聞いたことがあるけれどピンクが好きな男性がいたって全く問題ない。父に「女性パイロットの飛行機に乗ったことがある。」って話を聞いたことがあるなと思い出した。この日本に産まれて十四年。私は毎日の生活の中で、男性はこうあるべき、女性はこうあるべきだという意識を自分の中に植えつけてしまったのだと思う。

ジェンダー平等について、少し調べたところ、世界各国の男女間の平等についての調査報告書が六月二十一日に公表され、日本は調査対象となった百四十六か国中、百二十五位で過去最低の順位だったという。

明治二十三年、日本で初めての選挙として「衆議院議員総選挙」が実施された。選挙権を得ることができたのは満二十五歳以上の男性で一定以上の納税がある人。それから何度か改正が行われたが、女性への選挙権は与えられず、やっと男女平等の普通選挙制度が確立したのは昭和二十年、初の婦人参政権が行使されたのは翌二十一年だった。

世界で最初に女性の参政権が認められたのは、ニュージーランドで一八九三年であった。日本はそれから五十三年後に女性に選挙権が与えられたことになる。

また、男女差別は選挙権だけではなく、国会における女性議員の比率にもあらわれており、その比率はその国における女性差別の現状を表すといわれている。二〇二二年三月の時点での衆議院女性議員の比率は二十三・一パーセントで調査対象国百九十か国中、百六十八位という結果が公表されている。こうした結果からも日本はまだまだ男女差別があるように思える。

福島県議会においても女性議員の比率は八・六パーセントと非常に低いが、私の住む大玉村では今回の村議会議員選挙で女性議員は四名となり、県内では女性議員の割合がトップである。女性には女性なりの考えも有り、そうした意見や考えがもっと届くように女性目線での考え方、捉え方、そうした事も受け入れられるような社会になると思う。

日本では昔から男性が外で働き、女性が家事をするという風潮だったが女性議員の比率を見てみると少しずつ改善されているとはいえ、今もなお根強く残っているように思える。また、日本にとどまらず海外では女性が学校に行けない国もある。ただ、そうした現状を変えるべく女性にも教育を受けさせる権利を与えるべきだと訴える少女もいた。間違っていることは間違っている、正しいことは正しいとはっきりと訴えていくことはとても大変なことだと思うが、その反面とても大切なことだと思う。

私は当たり前に学校に行って男女問わず意見を言い合っている。その『当たり前』が当たり前でなく恵まれている、素晴らしいことだと感じた。

自分の声としてはどうだろう。しっかりとした意見を言えているだろうか。少し疑問に思うところもある。これからは自分の考えをしっかりと言えるようにし、友達の意見もちゃんと聞けるようにしたい。そのような考えをもつ人が増えれば互いの意見を理解し合い、協力し、良い方向へ向かっていくことができると思う。男性だから、女性だから…という考えをなくし、個々を認め合うことにより、さまざまな差別を排除し、「人」としての権利を尊重することができるのではないだろうか。

そして、質問に対して「どちらとも言えません。」と、無意識で答えられる私でありたい。
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