【佳作】差別のない世界へ 大玉中学校2年 喜古真凜

差別のない世界へ
大玉中学校2年 喜古真凜

「肌色」この色は人にどんな色を連想させるだろうか。私は今まで「肌色」と言われると、うすだいだい色をイメージしてしまっていた。 うすだいだい色と私の肌の色が似ていたと、いうのもあったかもしれない。だが、最近はその考えを改めている。
小学4年生頃から社会科の授業でいろいろな国のことを学んできた。だから、 色々な肌の色の人がいることも知っている。だが、 なぜ「黒人」「白人」「黄色人」この言葉が差別用語になるかは理解しきれていなかった。後々わかったことだが、黒人が歩いているだけで指をさされたり、じろじろ見られたり、あからさまに違う態度をとられるということがあるらしい。 それを知った私は、なぜあの3つが差別用語となるのかを理解した。それと同時に、己の未知さにもびっくりした。 私はてっきり差別はなくなったものだと思っていたからだ。差別と言われるくらいなのだから、人々は肌の色で人権を分けることを批判しているという意味にも捉えられる。この世間の批判が良く出るか、悪く出るかはわからないが、私は差別をなくす活動につながることを願う。

人種差別に対する考えと同時に、今はジェンダーレスに対する考えも変わっていると思う。ジェンダーレスのジェンダーは、過去に作られてきた性別に関する概念、レスはより少なくする、を意味する。 つまり、ジェンダーレスは、社会的または文化的に定められた「男性らしさ」「女性らしさ」にとらわれないライフスタイルを実現しようとする考え方で、 差別や偏見をなくすための考えでもある。私は過去にとらわれないジェンダーレスの考えを否定しないし、悪いことだなんて全く思わない。否定はしないが、びっくりしてしまうことはある。例えば、見た目は男性なのに女性の服装をしていたりした時だ。私は実際にそんな方を見たことがある。そのとき、私はびっくりしてしまった。でも、それは初めての時だけだった。 初めはみんなびっくりしてしまうかもしれないが、それはジェンダーレスに対する考えがあまり広がっていないからではないだろうか。
勝手な考えだが、ジェンダーレスの考えをまるっきり否定している人は少ないと思っている。ジェンダーレスという考えは、今までの生活に少なかった。 これまで少なかった考え方が発信されることで、ところどころの人たちが混乱してしまっているだけだと思うからだ。 だから、どんなに冷たい態度、冷たい視線を向けられようと、悩まないで、自信を持って生きてほしい。それは、人間誰にでも人権があるから。みんなと違うから萎縮しないで、自分らしくのびのびと生きてもらいたい。

この話は服装だけに限らない話だ。例えば一人称だ。一人称とは、自分自身を指す呼び方のことだ。戸籍上女性でも自分を「僕」と呼ぶ人もいるし、男性でも一人称が「私」の人だっている。 ロングヘアの男性も、ベリーショートの女性だってたくさんいる。個性豊かで、人それぞれだけど、全てが全て同じ人なんているわけがない。だから、自由に、自分がしたいようにすればいいと私は思う。
ジェンダーレスという言葉を聞くと、私の頭によく思い浮かぶできごとがある。学校で行ったアンケートの性別を記入する部分の話だ。 選択肢には、男、女、どちらでもない、回答しない、の4つの選択肢があった。私は後半2つの選択肢があることに対して衝撃を受け、それと同時に感激した。 そして、とても良いことだとも思った。なぜなら、今はジェンダーレスの世界だから。選択肢にどちらでもない、回答しないの2つが増えたということは、世間がジェンダーレスの考えに対応してきて、さまざな考えを持つ色々な人が生きやすい環境に近づいているのではないか、と私は思う。 これだけではなく、他にもランドセルの色を自由に選ぶことができたり、男女どちらも着られる服が販売されたりして多様な人々に対する配慮が増えてきている。 こういった配慮や対応が増えることで、差別をうけて苦しむ人が減るのならば、私はとてもうれしく思う。
今の世の中は差別が全くないとは言えない。差別を受けている人々の人権を尊重し、 理解者を増やしていくことが一番身近でできる最善の方法だと思う。私は、差別を受けている人の手助けになって、どんな人でも平等に接していけるような人でありたい。
 
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