【佳作】「米づくりの思い出」 大山小学校6年 本田 夏輝

【佳 作】
「米づくりの思い出」
大山小学校 6年 本田 夏輝
 
 ぼくの家では、以前、米づくりをしていました。毎年、4月の末になると家族で種まきをしました。ぼくは幼稚園生の頃からその手伝いをしていました。
 初めに、縦30センチメートル、横70センチメートルくらいの板に種をまくのですが、直径1センチメートルくらいの穴に、種と土を均等にまくように、機械を使います。ぼくが手伝ったのは、その土を機械に入れる作業です。幼稚園生の頃は土が重くて本当に少しづつ入れていましたが、毎年続けていくうちに、体も大きくなったので、一気にたくさん運べるようになりました。土は結構重いので、たくさん運ぶとうでが痛くなってしまいますが、家族と一緒に作業することが、楽しく感じていました。
 稲が育ってからは田植えをしました。田植え機に板をセットして田んぼに稲を植えました。この時のぼくの仕事は、植え終わった後に残った板を洗うことでした。これも機械を使っての作業です。5年生の社会科の授業で農業が機械化したと習いましたが、今思うとうちでの作業もたくさんの機械を使っていました。ぼくは、一度にたくさん入れすぎないように調節しながら作業を進めました。また、土が落ちていない時にはもう一度洗いなおすなど、ていねいに作業しました。大変ではあるけれど、美味しいお米が育つためには大切な作業なのだと思っていました。
 秋になると、いよいよ稲刈りが行われます。これも、コンバインという機械を使っての作業です。祖父や父がコンバインを操作して稲を刈りました。ぼくはいつも、その作業を見ていましたが、一度だけコンバインに乗せてもらったことがあります。コンバインは、車と違ってハンドルがありません。進む速さもゆっくりでした。初めて稲刈りを間近で見ることができておどろきの連続だったのを覚えています。
 4年ほど前、祖父が入院してからは、うちで米は作らなくなりました。退院した後は、祖父と祖母が2人で、野菜や花を作るようになりました。しかし、去年の6月に、祖母が亡くなったので、今では祖父が1人で野菜を育てるようになってしまいました。野菜を大事に育てている祖父の姿は、元気そうであっても、悲しそうに見えます。だからぼくが祖父を手伝って、一緒に野菜を育てていこうと思います。
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