村の沿革

 本村では、原始・古代より人々が定住し、山野の資源と農耕により生活を営んでいました。村内各所に分布する縄文・弥生・古墳時代の遺跡がそれを示しています。中世の室町時代までには村落も形成されました。

 そして近世、江戸時代にはいり二本松藩が成立(1643年・寛永20)すると、九ヵ村(玉井・下大江・大江新田・上大江・椚山・箕輪・原瀬・永田・深堀小屋)からなる玉井組が編成されました。この時代、現在の本村地域の人口は3861人、戸数は725戸(元禄13年藩統計)であり、安達太良山麓部の山林資源(萱・木炭・薪・山菜等)と平坦部の水田稲作が主な生業でした。

 明治に入り廃藩置県が行われ中央集権化が進められるなかで、二本松藩が解体されたのち、地方行政機構はめまぐるしく変化しました。このなかで本宮を中心に旧玉井組、旧本宮組、旧糠沢組の主として南達地方からなる福島県第9区会所が明治7年に設けられ、翌年には第6区会所に再編され、明治12年の郡町村制にともない安達郡役所が設置、本村地域では玉井・大江・椚山の3村に戸長役場ができました。そして明治22年の市町村制施行により、大江村と椚山村がが合併、旧玉井村と旧大山村が誕生しました。

 この2村の体制は、アジア・太平洋戦争後まで続きましたが、昭和28年の「町村合併促進法」により、昭和30年に2村が合併し、今日の大玉村が誕生しました。
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