名誉村民
大玉村名誉村民は、大玉村民または本村に縁のある方で公共の福祉の増進または学術・技芸の進展に著しい功績があり、村民が郷土の誇りとして、深く尊敬する方にその称号を贈るものです。
斎藤良夫(さいとうよしお)氏
斎藤良夫さんは、大玉村に生まれ育った現代油彩画の第一人者です。
昭和11年に大山字岩高で生まれ、中学校卒業後上京し、24歳で千葉県東金市にアトリエを構えて創作活動を本格化しました。昭和40年から3年間、日展(日本美術展覧会)に入選するなど、数多くの賞を受けています。
平成17年には大玉村名誉村民の第1号となりました。また、平成22年、千葉県の依頼により鴨川市の大山千枚田の風景を描いた作品が当時の両陛下に献上されました。
平成10年から大玉村で5回にわたり「ふるさと美術展」を開催し、ふるさとの安達太良山をはじめ、お住まいの房総やヨーロッパなどの風景画を中心に展示し、多くの方々が作品の魅力に触れました。
また、斎藤良夫さんから寄贈された絵画は、大玉村役場や大玉村農村環境改善センター、小・中学校などの公共施設に展示されています。
昭和11年に大山字岩高で生まれ、中学校卒業後上京し、24歳で千葉県東金市にアトリエを構えて創作活動を本格化しました。昭和40年から3年間、日展(日本美術展覧会)に入選するなど、数多くの賞を受けています。
平成17年には大玉村名誉村民の第1号となりました。また、平成22年、千葉県の依頼により鴨川市の大山千枚田の風景を描いた作品が当時の両陛下に献上されました。
平成10年から大玉村で5回にわたり「ふるさと美術展」を開催し、ふるさとの安達太良山をはじめ、お住まいの房総やヨーロッパなどの風景画を中心に展示し、多くの方々が作品の魅力に触れました。
また、斎藤良夫さんから寄贈された絵画は、大玉村役場や大玉村農村環境改善センター、小・中学校などの公共施設に展示されています。
福井トシ子(ふくいとしこ)氏
福井トシ子さんは、大玉村出身で公益社団法人日本看護協会会長を務められるなど、医療・福祉分野の第一人者として活躍されました。
昭和31年に大玉村でお生まれになり、玉井中学校(現大玉中学校)、安達高校を卒業後、昭和57年東京女子医科大学看護短期大学専攻科修了、翌年福島県立総合衛生学院保健学科修了。その後、看護師、助産師、保健師として、東京女子医科大学病院、杏林大学医学部付属病院において勤務されるなど、30年以上にわたり看護・助産・管理業務に従事されてこられました。平成22年に日本看護協会常任理事に就任し、平成29年から令和5年まで日本看護協会会長の職を務められ、全国の看護職の役割拡大と人材育成に尽力されました。
特に新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中、医療現場の最前線に立つ看護職員の処遇改善や業務負担軽減を図るなど、医療提供体制整備に大きな役割を果たすとともに、公共の福祉の増進に多大な貢献をされ、令和5年に二人目の大玉村名誉村民となりました。
日本看護協会会長を退任された後も、国際医療福祉大学大学院副大学院長・教授として看護管理者の養成などに尽力されておられます。
また、名誉村民の称号を贈呈されたことの記念として、書家の金澤翔子氏の作品「大玉村に生きる」を寄贈いただき、大玉村役場に掲示されています。
昭和31年に大玉村でお生まれになり、玉井中学校(現大玉中学校)、安達高校を卒業後、昭和57年東京女子医科大学看護短期大学専攻科修了、翌年福島県立総合衛生学院保健学科修了。その後、看護師、助産師、保健師として、東京女子医科大学病院、杏林大学医学部付属病院において勤務されるなど、30年以上にわたり看護・助産・管理業務に従事されてこられました。平成22年に日本看護協会常任理事に就任し、平成29年から令和5年まで日本看護協会会長の職を務められ、全国の看護職の役割拡大と人材育成に尽力されました。
特に新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中、医療現場の最前線に立つ看護職員の処遇改善や業務負担軽減を図るなど、医療提供体制整備に大きな役割を果たすとともに、公共の福祉の増進に多大な貢献をされ、令和5年に二人目の大玉村名誉村民となりました。
日本看護協会会長を退任された後も、国際医療福祉大学大学院副大学院長・教授として看護管理者の養成などに尽力されておられます。
また、名誉村民の称号を贈呈されたことの記念として、書家の金澤翔子氏の作品「大玉村に生きる」を寄贈いただき、大玉村役場に掲示されています。
野内与吉(のうちよきち)氏
野内与吉さんは、大玉村出身で移民としてペルーに渡り、マチュピチュ村の初代村長を務められました。
明治28年11月に玉井村(現大玉村)で生まれ、玉井尋常小学校、玉井高等小学校を卒業し、21歳の時に契約移民としてペルーへ移住。鉄道会社などでの勤務を経て、マチュピチュ集落に定着した後、村民のために飲み水や温泉を引き、水力発電によって電気をつくるなど、マチュピチュ集落の開発に尽力し、マチュピチュ村初代村長を務めました。73歳のときに半世紀ぶりに大玉村へ帰郷を果たし、1年後の昭和44年8月、ペルーのクスコの地で74年の生涯を終えました。
現在では観光地として世界的にも有名なマチュピチュの発展に大きく貢献し、「マチュピチュ村を創った日本人」として、多くの人に敬愛されています。
こうした、マチュピチュ村に対する野内与吉氏の功績がきっかけで、平成27年10月に大玉村とマチュピチュ村が友好都市協定を締結するに至りました。マチュピチュ村と友好都市協定を締結しているのは世界でも大玉村のみであり、村民の誇りとなっています。
大玉村とマチュピチュ村が友好都市協定を締結してからは、両村の相互訪問や文化交流など様々な形で「人・もの・情報」の交流が続けられており、本村のみならず、日本・ペルー両国間における国際交流の進展に大きく寄与されました。
令和7年には、友好都市協定締結10周年を記念し、野内与吉氏の功績を讃えるとともにマチュピチュ村と大玉村との絆をより一層深めるため、マチュピチュ村に顕彰プレートが設置され、三人目の大玉村名誉村民として推戴されました。
明治28年11月に玉井村(現大玉村)で生まれ、玉井尋常小学校、玉井高等小学校を卒業し、21歳の時に契約移民としてペルーへ移住。鉄道会社などでの勤務を経て、マチュピチュ集落に定着した後、村民のために飲み水や温泉を引き、水力発電によって電気をつくるなど、マチュピチュ集落の開発に尽力し、マチュピチュ村初代村長を務めました。73歳のときに半世紀ぶりに大玉村へ帰郷を果たし、1年後の昭和44年8月、ペルーのクスコの地で74年の生涯を終えました。
現在では観光地として世界的にも有名なマチュピチュの発展に大きく貢献し、「マチュピチュ村を創った日本人」として、多くの人に敬愛されています。
こうした、マチュピチュ村に対する野内与吉氏の功績がきっかけで、平成27年10月に大玉村とマチュピチュ村が友好都市協定を締結するに至りました。マチュピチュ村と友好都市協定を締結しているのは世界でも大玉村のみであり、村民の誇りとなっています。
大玉村とマチュピチュ村が友好都市協定を締結してからは、両村の相互訪問や文化交流など様々な形で「人・もの・情報」の交流が続けられており、本村のみならず、日本・ペルー両国間における国際交流の進展に大きく寄与されました。
令和7年には、友好都市協定締結10周年を記念し、野内与吉氏の功績を讃えるとともにマチュピチュ村と大玉村との絆をより一層深めるため、マチュピチュ村に顕彰プレートが設置され、三人目の大玉村名誉村民として推戴されました。
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企画財政課企画係TEL:0243-24-8136FAX:0243-48-3137
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