来迎寺

 高屋敷に舘を構えていた菊地氏が開き、相応寺の第7代住職実弁が、江戸時代中期に開山した真言宗の寺院。本山は奈良の長谷寺である。

門をくぐるとたくさんのお地蔵様が出迎えてくれる。

来迎寺にまつわる伝説「酒呑童子の話」

 昔、原瀬村の人達が萱刈りに岳山に登った。その中の一人の若者が水を飲みに川へ下るとそこに赤い魚が泳いでいたので捕まえて、皆で食べようと焼いていたがあまりに旨そうな匂いがしたので仲間に知らせず一人で食べてしまった。そしてなにくわぬ顔で萱を刈っていたのだが、顔が熱くてたまらない。やがて仲間が若者をみて「角が生えている。」と驚いているうち、あれよあれよという間に恐ろしい顔つきに変わり、山へ逃げていった。赤い顔をした酒呑童子誕生である。
 後に原瀬村から深堀に行く街道に、度々、安達太良山に住む酒呑童子が現れて村人を襲うようになった。困り果てた村人たちは庄屋の家に集い、相談したが名案が浮かばない。その時大三という若者が、鬼退治を名乗り出た。大三は早速童子のところに行って、持って来た酒や食べ物を振舞い「悪さをしないように」と言い聞かせた。童子は優しい大三の話を聞いて改心し自分と同じような形をした石をそこへ置いて山へ帰った。
 しかし何年も絶つうちに童子は退屈しのぎに里へおりて村人を驚かせてはおもしろがるようになった。そして都の近くの大江山に住みつき、家来どもを従えて悪さを繰り返すようになった。
 盗み、人殺しなど童子の悪さはあまりにひどく、ある日のこと、酒呑童子退治のため、渡辺綱(わたなべのつな)が待ち伏せし見事片腕を切り落とした。しかし大江山に逃げ帰った童子はお婆に変装して腕を取り返してしまう。そしてついに、都を守る源頼光(みなもとのよりみつ)(らいこう)によって大江山攻撃の手がのびるとかなわぬとみた童子は故郷の安達太良山を目指して逃げたが、まもなく本宮を過ぎた所で追いつかれ、「えいっ」という鋭い気合一太刀で、首をはねられてしまった。その首は遠く原瀬村の才木まで飛んでいった。そこは以前自分が運んできた鬼石のところだったという。このとき頼光の乗っていた馬も力尽き倒れてしまったので、その場所を「馬尽(まつくし)」というようになった。酒呑童子の死骸が埋められた場所は鬼松といい馬と共に二つの墓が建てられ、やがてそれらの墓は近くの寺に移された。
 その寺の名は、鬼松山来迎寺(きしょうざんらいこうじ)と名付けられ、村の名も大江となった。

所在地

福島県安達郡大玉村大山字東
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