日枝神社ひえじんじゃ三十六歌仙さんじゅうろっかせん絵馬えま

写真はふるさとホールに常設展示されているもの

むら有形ゆうけい文化財ぶんかざい
所在地しょざいち大玉村おおたまむら大山おおやまうえだい13
 室町時代むろまちじだいに、三十六歌仙さんじゅうろっかせん肖像しょうぞう歌仙かせんそれぞれのえいじた和歌わかいて奉納ほうのうすることが流行りゅうこうした。日枝神社ひえじんじゃ三十六歌仙さんじゅうろっかせんは、幕末期ばくまつき二本松にほんまつ藩士はんし絵師えしとしてられた大原おおはら文林ぶんりん歌仙かせんぞうに、二本松にほんまつ藩士はんし国学者こくがくしゃ歌人かじんとしてられた部井ぶい磐根いわねしょ(ふる)った三十六歌仙さんじゅうろっかせん絵馬えま社殿しゃでんないかかげられている。むら指定してい文化財ぶんかざい

日枝ひえだ(ひえ)神社じんじゃ」について

 安達太良山あだたらやま仙女せんじょだけ鎮座ちんざされたものを天正てんしょう年間ねんかん(1573ねん)椚山くぬぎやましろしゅ新城しんしろ弾正だんじょうすくなすけ信常のぶつね椚山くぬぎやま遷座せんざしたもので社殿しゃでん明治めいじ6ねん8がつ改築かいちくした。(『大玉おおだま村史そんし』より)
 日枝神社ひえじんじゃのおまつりは、100ねん以上いじょうまえから、5がつ1にちと10がつ9にちねん2かい神楽かぐら奉納ほうのうもあり大変たいへんにぎわいをせていた。祭礼さいれい前夜ぜんやには神楽かぐらおどたち神社じんじゃ境内けいだいあつまりうたおどりの練習れんしゅうをするならわしがあった。そのときのおものとして、お赤飯せきはんげるのだが、それを目当めあてに子供こどもたち各々おのおのいえから布団ふとん持参じさんして神社じんじゃあつまり、大人おとなたち神楽かぐら練習れんしゅうをしているかたわらでお赤飯せきはんをいただき、にぎやかに一夜いちやごしたものである。この行事ぎょうじは「おこもり」といって、5がつ1にち祭礼さいれい前日ぜんじつ(つまり4がつ30にち)におこなわれていたもので、昭和しょうわ30年代ねんだいごろまでは子供こどもたち(もっぱら男子だんしばかり)のたのしみのひとつだった。
 日枝神社ひえじんじゃ神楽かぐらは、かみ原田はらだ神社じんじゃの十二神楽かぐらおなながれをくみ、豊臣とよとみ秀吉ひでよし時代じだい形式けいしきのこした、いたうごきが特徴的とくちょうてきおどりで、かつてはそのたねるいも十二とおりあったが、つぎ世代せだい伝承でんしょうされないまま自然しぜん消滅しょうめつし、いまでは2、3のおどりがつたわるのみである。現在げんざい祭礼さいれい簡素化かんそかされ神楽かぐら奉納ほうのうおこなわれなくなった。11がつだい1日曜日にちようびはた氏子うじこたちがおものをし、簡素化かんそかされた形式けいしきまつりをあげ、そのあと「なおらえ」といううたげもよおして氏子うじこ同士どうし親睦しんぼくはかっている。神楽かぐら復活ふっかつのぞこえおおいが後継者こうけいしゃ不足ぶそくから難航なんこうしているという。

日枝神社ひえじんじゃカヤかや

日枝神社のかや

現況げんきょう
周囲しゅうい3.75メートルめーとる
樹高じゅこう16.5メートルめーとる
樹齢じゅれい350ねん
けんみどり文化財ぶんかざい指定してい昭和しょうわ58ねん2がつ17にち
日枝神社ひえじんじゃカヤかやについては、下記かきページぺーじもごらんください。

所在地しょざいち

大玉村おおたまむら大山おおやまうえだい13
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