傾城けいせいだん古墳こふん(けいせいだんこふん)

上空から写した傾城壇古墳

福島県ふくしまけん指定してい史跡しせき
所在地しょざいち大玉村おおたまむら大山おおやまあざ愛宕あたご
 全長ぜんちょう41メートルめーとる後円こうえん直径ちょっけい27メートルめーとる前方ぜんぽう後円墳こうえんふんで、県内けんない前方ぜんぽう後円墳こうえんふんなかではちいさいほうのグループぐるーぷはいるものの、地域ちいき古代こだいかたるうえでこの古墳こふん意義いぎ非常ひじょうおおきい。考古学こうこがく先達せんだつ高橋たかはし丑太郎うしたろう古墳こふん周辺しゅうへん土器どき採取さいしゅし、四世紀せいき後半こうはんだいきずかれたことをあきらかにした。これらは、傾城けいせいだん古墳こふん中通なかどおり地方ちほう最古さいこきゅう古墳こふんであることしめすばかりでなく、中通なかどおり地方ちほう登場とうじょうした最初さいしょおうはかがこのきずかれたこと物語ものがたった。
 大山おおやま地区ちく諸田もろた(もろた)やばし(こわれはし)遺跡いせきなど弥生やよい時代じだい集落しゅうらく集中しゅうちゅうしていることから、当時とうじ水田すいでん地帯ちたいは、この地区ちく低湿地ていしっち部分ぶぶん限定げんていされていた可能性かのうせいたかい。
 傾城けいせいだん古墳こふんほうむられた人物じんぶつ始祖しそとする王権おうけんは、五世紀せいきなか以降いこう葬送そうそう儀礼ぎれいのための様々さまざま埴輪はにわてた庚申こうしんだん(こうしんだん)・金山かなやま(かなやま)・谷地やち(やじ)・産土うぶすな(うぶすな)・久遠くおんだん(くおんだん)古墳こふんや、六世紀せいきごろ築造ちくぞうかんがえられている二子塚ふたごづか古墳こふん被葬者ひそうしゃ継承けいしょうされた。これら四世紀せいきから六世紀せいき古墳こふん直径ちょっけいやく2キロきろせま範囲はんいないにまとまって存在そんざいしている。このように同一どういつ地域ちいきない古代こだい王権おうけん継続けいぞく確認かくにんできるのは、会津あいづ浜通はまどおりなど県内けんないのほかの地域ちいきられない特異とくい現象げんしょうであり、この地域ちいき古代こだいかんがえるうえ注目ちゅうもくされる。

現在げんざい雑草ざっそうしげり、こんもりした丘陵きゅうりょうになっている

傾城壇古墳
傾城壇古墳

所在地しょざいち

大玉村おおたまむら大山おおやま愛宕あたご
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