【佳作】あたたかい未来への第一歩 大玉中学校1年 鈴木さくら

あたたかい未来への第一歩
大玉中学校1年 鈴木 さくら
 私の家族の一人は、二年前に脳梗塞で倒れてしまいました。命は助かりましたが、神経が死んでいて、右の手足が麻痺しており、また、血管がつまったため、記憶力や考える力などが低下してしまいました。
 その時期は、インフルエンザが流行していた時で、高校生以下は面会は禁止だったので、病院を脳神経外科に、移ったときに初めて会いました。前の雰囲気と違く、お話ができない状態で、ホワイトボードを使って話をしていましたが、私は、理解する事が難しく、あまり、話が続かなかったので少し悲しかったです。
 話をすること、右の手足を動かすことを、日々リハビリを頑張っていました。
 辛くてもあきらめず、リハビリを頑張って頑張って、右手でご飯を食べれる様になったし、歩ける様になりました。話すことも、普通の人と同じく話せます。記憶力は、ノートに記入しないと忘れちゃうこともあります。考えることは、あれ?となってしまうことはたまにあるけど、普通の人と同じです。
 退院して家で一緒に生活して、分かったことがたくさんありました。
 例えば、走れない、ジャンプが出来ない、しゃがむことが出来ないことや、また、少し物にぶつかると、すぐ傷になったり、あおたんになったりします。日常生活では、血圧を計るときのしめつけで傷になってしまいます。
 また、私が、一番辛かったことは、感情コントロールです。例えば、怒りっぽく、怒ったら、止められないこともあり、よく喧嘩していて、嫌な思いにさせたり、なることが、しょちゅうありました。
 リハビリや日常生活も一生懸命頑張っていますが、ある日、こんなことを聞きました。
「倒れてから、生活していくのに不安なことはなかったの。」
と聞くと、こう答えてくれました。
「あったよ。不安なことは、人の目が怖いこと。そして生活してみて、体力がなくてすぐ疲れる。思うように体が動かない。出来ないことが多くなった。ジェットコースターなど諦めなくてはいけないことが多い。」
と言っていました。私は、こんなに、嫌な事があるのに、生活できているのかなと思い、聞いてみました。
「なんで諦めないで生活してるの。」
と問いかけると、
「運命だし、みんなが助けてくれて楽しく、生活できているから。」
と言っていました。
 出来ないこともたくさんあり、辛いこともいっぱいあるけど、本当にすごいなと思ったし、その人の周りには、優しい人ばかりです。辛い思いをしたかもしれないけど、幸せに、暮らせていると思います。
 私は、その人が倒れる前から高齢者や障害者の事は、かわいそうだなと少し思っていたところもありました。
 しかし、家族が倒れてから、高齢者とも、病院で出会ったし、家に居るばあちゃんの事も大切に、今までよりも大切にして過ごしたいなと気づかせてくれたし、けして、かわいそうでもないし、少し手をさしのべてあげないといけないけど普通の人と同じだから、かわいそうだと思っていた自分が情けないです。
 家族が不安していた、人の目。これだけで心が生きていこうとする力をうばってしまうことにつながると思う。私以外の人でも、
「手足が動かなくてかわいそう・・・。」
「耳が聞こえなくてかわいそう・・・。」
と思っていたとか口に出している人もいます。
 私は経験してかわいそうじゃないと知った今、それを伝えていき、嫌な気持ちにならない、元気に過ごせるようになるのを、邪魔するより応援した方が自分もその人もほんわかな気持ちになると思うし、嫌な発言をしても、自分に良い事がないことも、改めて分かりました。
 今、倒れた家族の人は、みんなが手を差しのべてくれたおかげで、回復しました。会社に通勤して、自分で車を運転して行っています。
 優しい言葉をかけてあげると、障害者じゃなくても、みんなほんわかしたあたたかい気持ちになります。
 私はこれから障害者を・・・高齢者をどうにかするとは考えていません。みんなに障害者はかわいそうじゃないということを伝えたり、優しい言葉をみんなにかけてあげたいです。
 しかし、これ以外にもたくさんの問題があります。だからこれからその問題について、深くじっくり考えていきたいです。