【優秀賞】コロナ禍の渦中で人権を考察する 一般部門 細谷晋

コロナ禍の渦中で人権を考察する
一般部門 細谷 晋
 現況、世界中がコロナ禍の恐怖にさらされている、日本もそしてここ大玉村も例外ではない。時に不安と恐怖は人間を攻撃的にする、また、他者への無分別な非難を、社会的コンセンサスと履き違える者もいる。
コロナ患者やその家族に対して偏見を持つ人々、自粛警察と呼ばれる輩、果ては医療の第一線で戦い続ける医療従事者にまで差別の目を向ける者までいる。
 果たして、新型コロナ感染は自己責任なのか?
 自粛を疎かにして感染したのだろう、同情の余地はない、迷惑、社会の秩序を乱す者として非難する、仮に百歩譲って、感染者がその感染経路から自分の行動を悔やむことがあっても、こと病気に関しては「患者を責めてはいけない」の大原則に立ち戻るべきだ、自己責任から社会責任への回帰である、そもそも私的制裁など許されるものではない。
 一方、日本は欧米の法的根拠に基づくロックダウンのような強制措置を発動していない、あくまで、お願いベースの自粛要請だ、強制措置がないにも関わらず、パンデミックに至らず、日本の新型コロナ感染による死者数は欧米と比較して少ない。
自粛要請に基づく外出を控え、3密を避けた効果なのか、はたまた日本人固有の免疫を含む体質故なのか、今後の分析を待たなければならない。
 今、徹底した自粛が善とする社会の空気が根強い、自分が感染源にならないように、他人に迷惑をかけないようにとの倫理観は理解できる、しかし感染源にならないように行動する自由もあってよいのだ。
生活習慣病、メタボリックシンドロームについても同様の批判が散見される。
 人は誰しも健康で文化的な生活を営む権利を有する、そして、人権とはすべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利である。
 他者への無分別な批判は、健康に生きる生存権を守るとした権利意識が他者の人権を侵害しているというパラドックスだ。
 現在、権利の主張が声高に叫ばれる中、権利の尊重が置き去りにされている。
 重要なのはすべての人々が、それぞれの幸福を追求する権利を持つということだ、それぞれの幸福の形を選択決定するのは各々個人である、その選択決定は法秩序の範囲内において最大限尊重され、かつ保障される、それが個人の幸福の最大化となり、その集合が社会全体の幸福の最大化に帰結する。
 私たちは他者の幸福の形にもっと寛容であるべきだ、そして、この個人の人権の尊重は秩序の高みに位置し、緊急事態であろうとも揺らぐものであってはならない。
今、私たちに課せられた問題は多様な価値観を抱合しつつコロナ禍を乗り切るべきことなのだ。