【佳作】我々が進むべき未来とはどんなものだろうか 大玉中学校2年 木幡美希
我々が進むべき未来とはどんなものだろうか
大玉中学校2年 木幡 美希
「差別」「偏見」このような言葉を聞いて我々はどう感じるだろうか。差別はいけないこと。偏見は悲しいことだからこの世界からなくしたい。少なくともこのように感じる人は必ずいるだろう。だが、本当に我々は差別や偏見をなくそうとしているだろうか。最近、実際に海外で黒人に対する差別行動が見られた。日本でも新型コロナウイルスに関する差別や偏見の事件がおこっている。このように世界中で差別や偏見がおこっているのだ。私は差別や偏見をなくすことは、ほぼ不可能に近いと思っている。なぜなら、人はそれぞれの考えを持って生きているからだ。人は必ず心の中で何か思ってしまうものなのだ。例えば、「女性のほうが家事や育児に向いている。」とか「あの人は無職だから。」など社会的カテゴリーによって差別が生まれる。我々が日常でよく使う、「障害者」この言葉も差別ではないかと思う。このように日常的に使われている差別や偏見。これをなくすというのは、容易ではない。個人的な感情はどうしようもできない。感情を法律で罰することもできない。しかし、それを仕方がないことだと社会が認めてはいけないと思う。不可能を可能に変えることもできなくはない。もしかしたら社会全体で真剣に取り組めば、それほど難しいことではないかもしれない。私は、現実問題として、差別や偏見をなくすことは簡単な話ではないと思う。それでも、我々の努力次第で極力減らすことはできるのではないかと考えた。少しでも減らすためには、一人一人が差別や偏見について改めて考え、知識を得ることがなにより大切なことだと思う。
差別といっても、世界にはさまざまな差別が数多くある。例えば、人種的偏見による人種差別や性差別などが最も名の知れた差別だろう。中でも、性差別が私の中ではとても身近な差別だと思っている。性差別の中でも女性に対する差別。そう女性差別だ。
日本は、男女の格差が世界で最も大きい国の一つとされていることを聞いたことがあった。私自身も何度か体験したことがある。それは、日常での会話というとても身近なところにひそんでいるものだ。例えば、私の父は「女の子なんだからもう少しちゃんと女の子らしくできないのか。」と言う。そんな父は私の兄に対しても「男なんだからその長い爪を切りなさい。」と怒っている。正直、父の言う女だからや、男だからと性別で物事を決めつけるのは、差別ではないのかと父に言い返したくなる。しかし、また怒られるのが怖かったり、嫌だったので言い返したい気持ちをぐっと抑えて生活している。そんな生活が続いたせいか、私は家庭内では女性らしくふるまったり、女性らしくない物を隠してなるべく怒られないように生活するのがあたりまえになっている。しかし、そんな生活はまったく楽しくない。こんなことなら、女ではなく男に生まれてくれば良かったと思うことがある。
「女」であることだけを理由に個人の意見を押しつけてくるのはどうかと思う。「女性だからできない」とか「女性だからこうであるべきだ」なんて、一体誰が決めたのだろうか。確かに男性にできて女性にできないこともたくさんあるが、逆もまた然りだ。女性にできて男性にできないこともたくさんあると言える。そもそも、女だからできないとか男だからできる。そのような考え自体が間違っていると私は思う。個人の才能や能力によってできるかできないかが分かれるし、その人の努力次第で、できなかったことができるようになるのだ。それを、「女だから」「男だから」などと決めつけてほしくないと思う。「女だから」「男だから」という考え方を見直し、それが何かを決断する時の材料にしないことが大切だと思う。
これらをふまえて、改めて「差別」や「偏見」という言葉を聞いてどう感じただろうか。我々は言葉や気持ちだけの形で終わってはいないだろうか。差別や偏見をゼロにすることはできないかもしれない。しかし、できるかできないかという話で止まっていては、世界は一ミリも動かすことはできないだろう。そればかりか、未来も一向に明るくなるはずがない。今の我々では、減らすこともままならぬだろう。我々、一人一人が差別や偏見への考えを持ち、知識を深めることが差別や偏見根絶への最初の一歩になるだろう。
私は、差別や偏見をさまざまな角度から見て考え方を変えていこうと思った。そして、女らしいとか男らしいなどではなく、それが「自分」だからとか、それが「あなた」だからという考え方にしたいと思っている。我々の努力次第で世界は変えられるのだ。そして、願わくはこの世界が笑顔で満ちあふれることを-。