【佳作】言葉に対する責任を 大玉中学校3年 國分葵心

言葉に対する責任を
大玉中学校3年 國分 葵心
 今の時代には欠かせないほど、日常に浸透しているインターネット。SNSやネット動画など、私も毎日のように利用しています。便利な一方、使い方によっては犯罪に巻き込まれるなどの怖い一面もあります。
 人権の事を考えたとき、耳にする事が増えた、SNSでの誹謗中傷が思いつきました。最近でも、度重なる誹謗中傷に傷つき、自ら命を絶ってしまった芸能人のニュースを目にしました。匿名をいいことに、心無い言葉で攻撃する。毎日のように誰だか分からない不特定多数の相手から中傷されたら誰だって辛くて嫌になると思います。匿名は個人のプライバシーを守るためのものであって、人を傷つけるための隠れみのではありません。
 今、世界中に猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症に関する内容もありました。患者さんや命がけで治療に携わっている医療関係者へ向けた誹謗中傷です。中には、自分本位な行動ゆえに患者になってしまった人もいます。ニュースを見ていて、私も「なぜ、自粛していられないの?」と思うこともありました。けれど、だからと言って相手に攻撃しようと思いません。自分はそうならないように気を付けようと思うだけです。誹謗中傷をする人は、いつ終息するのかと、自分がなったらどうしようという不安からの行動なのかもしれません。けれど、その不安をぶつけるのは間違っていると思います。大変なのは、みんな同じなのです。
 東日本大震災の時、私の身近でも似たことがありました。「放射線がうつる」と、浅はかで無責任な情報がネット上に広がり、福島であるというだけで拒否をされたという話をたくさん聞きました。差別や偏見は暴力と同じだと思います。
 ネットは正しくない情報すら正当化され、被害にあう側に数えきれないほどの攻撃としてのしかかるのです。
 誰もが利用できるからこそ、そこには責任があると思います。無知の情報を載せる人も、その情報を真に受ける人も、そしてそれを広める人も、その言葉の責任を考えていないように感じます。
 言葉の重みを考えたとき私は、小学生の時に加害者に、中学生では被害者側になったことを思い出しました。
 小学生の時は、自分と性格が合わない子に対し何気なく言った言葉が、周りの子を巻き込んでしまい、結果、仲間外れのようになり相手を傷つけてしまいました。
 中学生になって、今度は逆の立場になりました。自分はアドバイスと思って言ったことが、相手が気に入らなかったという、ほんのささいなきっかけが理由で、仲の良かった友達から仲間外れにされました。自分の態度に気をつけるようになって、仲直りしても微妙な距離感を感じる時期が続き、学校に行きたくなくなるほど辛かったです。先輩や他の友人に支えられ乗り越えることが出来たけれど、その時、される側になって初めて、された側の辛さの大きさを知りました。
 「いじめをした方はすぐに忘れてしまう。でも、された方はずっと忘れない」という言葉は本当にその通りだと思いました。あの時の事を思い返すと、ひとりになる怖さや、下を向くと出てきた涙の感覚が鮮明に残っているからです。
 今、私は、自分がしてしまった過去のことを反省し、当たり前のことだけど、出来ていなかった「悪口になるような言葉を発さない」ことを日々気を付けています。
 する側にも、される側にも、それぞれ理由はあると思います。一人一人が違う性格、個性を持っているのだから考え方や受け取り方が様々なのは当たり前のことです。その違いを意見として捉えることが出来れば良いけど、すれ違ってしまったり、ぶつかってしまうことも少なくありません。けれど、「違うから」「間違っているから」と、攻撃したり拒絶するのではなく、その時に感じた気持ちを「自分に向けて」考えてみれば、傷つけてしまうような言葉や行動はなくなるのではないかと思います。また、もしも攻撃を受けてしまったときは、けして一人で抱え込まず助けを求めることが大切だと思います。
 私たちは、言葉ひとつで人を死に追い詰めることが出来るという事実を忘れてはいけません。
 ネットでも日常でも、誰もが、誹謗中傷と言った攻撃のためではなく、守るためだったり、良いものを生み出すための「言葉」を使えることがとても理想だと思います。
 そして、子どもも大人も人種も関係なく、人として、一人一人が自分の言葉の重さと責任を常に考え選ぶことが人権を守ることに繋がるのではないかと思います。