【佳作】勇気をあげられる存在 玉井小学校5年 伊藤大葵

勇気をあげられる存在
玉井小学校5年 伊藤 大葵
 「大葵、もしかしたら運動ができなくなるかもしれない。」
お母さんは真剣な顔でぼくに言った。四年生の秋のことだった。ぼくは突然のことで意味がわからず、何度もお母さんに聞き返してしまった。学校での心電図検査の結果で、ぼくの心ぞうの動きが少しの間止まっていることが分かったのだ。すぐに病院でもう一度検査を受けることになった。
 検査の日まで、ぼくは大好きなマラソンが思いっきり走れなくなった。
「マラソン、できなくなるのかな。」
不安で足が重くなり、良いタイムがでない。落ちこみながら家に帰ると、テレビで水泳の池江璃花子選手が白血病にかかって入院すると流れていた。白血病にかかると水泳選手として復帰するのはむずかしいらしい。しかし池江選手は、
「治して大会に出たい。」
と言っていた。絶対不安なはずだ。こわいはずだ。今のぼくとにている。ぼくなら水泳をあきらめてしまいそうだ。それでも水泳を続けようとする池江選手の姿に、ぼくは勇気をもらった。もしぼくの心ぞうが重い病気だとしても、ぼくは大好きなマラソンをやめないと決めた。
 検査の日、不安とドキドキで心ぞうが口から出てきそうだった。病院の中をウロウロと歩き回り、そして検査を受けた。結果が出るまで、
「大丈夫だよ。」
「大丈夫だよ。」
と何度もお母さんが言ってくれた。お母さんもきんちょうして、こわい顔になっていた。
 そして結果が出た。病院の先生から「スポーツ心」としんだんされた。これは陸上選手に多く、通常は心ぞうの動きがふつうの人よりおそくて、走ったり運動したりするとふつうの動きになるものだそうだ。だから、ぼくの心ぞうは止まっているわけではないと、病院の先生は優しく教えてくれた。
「マラソンができる!」
心の底からうれしくなった。早く走りたくなった。
 スポーツ心と分かってから、ぼくはまたマラソンで思いっきり走れるようになった。練習も楽しくて仕方なかった。タイムものび、その年のマラソン大会で優勝することができた。ぼくが優勝できたのは、走る勇気をくれたお母さんや池江選手のおかげだと思う。一人では不安やこわさに負けていただろう。だからぼくは、家族や友だちが病気や障害などで不安になっているときに「勇気をあげられる存在」になりたいと思った。お母さんがぼくにしてくれたように優しい言葉をかけられる人になろう。池江選手のように、困難なことがあっても前向きにがんばっていこう。そうすることできっと周りの人に勇気をあげることができるのではないか。そうしていきたいとぼくは心に決めた。