【優秀賞】健常者に見えても 大山小学校6年 渡邊心春

健常者に見えても
大山小学校6年 渡邊 心春
 昨年、おばあちゃんが事故にあった。駐車場を歩いていたところを車にひかれたのだ。病院に運ばれ、両足を骨折していることが分かり、入院することになってしまった。人一倍元気で働き者だったおばあちゃんが自分で歩くこともできなくなりベッドの上にいるのが私はとてもショックだった。
 一人で立つ練習、歩く練習を重ね、今では日常生活を送るまでに回復したけれど、よく見ていると歩き方が元気な時と違う。長時間歩くのはつらいし、立ったりすわったりするのも大変だと言っていた。そんなおばあちゃんを見て、おじいちゃんが思いやり駐車場の使用許可を申請してくれた。
 そして、思いやり駐車場を使えるようになったある日。おばあちゃんはスーパーに出かけ、思いやり駐車場に車を停めたそうだ。すると、周りの人に、
「どうして思いやり駐車場に車を停めているのだろう。元気そうなのに。」
という目で見られたという。確かにおばあちゃんは他の人から見ればとても元気そうだ。でも、まだまだふつうの人のように歩くことはできない。私はそのことを聞いてとても悲しかったし、くやしかった。
 しかし、私自身も、相手の状況を知らずに見た目だけで判断してしまった時があったのを思い出した。思いやり駐車場に車を停めた元気そうな男の人を見て、
「どうしてここに停めたのかな。本当に使いたい人が困ってしまう」
と思ってしまったのだ。実はその男の人も見ただけでは分からないけが、病気があったのかもしれない。
 前にテレビで、似たような経験をしたという人の話を思い出した。その人は一目見ただけではふつうの人と変わりないが内部疾患を患っていた。そのため、思いやり駐車場を使うと一般のお客さんに白い目で見られることがあり、そのたびに悲しい気持ちになったという。私もこの人の立場になったらどんな気持ちになるかを考えてみた。車から降りると知らない人からの冷たい目線。それは蔑みの目線がほとんどだろう。何も悪いことをしていないのに感じてしまう罪悪感。私はこんな病気なんですと説明しなくては思いやり駐車場に車を停めてはいけないのか。そんなことだけが次々と浮かんできた。
 思いやり駐車場は必要としている人が使える場所だ。利用している人が健康に見える人でも使用許可証を使用しているということは見ただけではわからない内部疾患、障がいをかかえているのだと思う。そのような人たちに健常者なのに、という偏見をもたずに見てほしいと思う。お互いにゆずりあい、支えあっていける生活がふつうになればそれぞれが生活しやすい環境になっていくのではないかと思う。