【佳作】 戦争と人権

大山小学校6年 髙橋 瑞樹
 
 ぼくは、今の国会で、憲法を変えて戦争に参加するかしないか話し合っていたニュースを見て、戦争と人権について考えてみました。
 ぼくは、「戦争」というと、「こわい」とか「悲しい」とか思います。なぜなら人が殺されたり、死んだ人の親が悲しんだりするからです。
 「ピカドン」という本を読みました。広島の原爆を体験した子供の作文集です。「ピカドン」という言葉は、原子爆弾が落ちた時ピカッと光ってドーンと大きな音がしたのでそう言われています。原爆が落とされて、目の前でがれきの下じきになった人を助けられなくて、炎に焼かれて死んで行くのを見ているしかなかったという体験が書かれていました。そこでぼくは「やっぱり、戦争はこわくて悲しいなぁ」と思いました。
 もしも今ぼくが、戦争で家が焼けてお金も無く、けがや病気でも病院に行けなかったり食べ物も無くて、いつもおなかがすいていたりしたら苦しいと思います。
 戦争を経験したぼくのおばあちゃんに、話を聞きました。戦争のころ、おばあちゃんは、七才の小学校二年生でした。おばあちゃんの家は農家で、麦や大根やいも、大根の葉もご飯に混ぜて食べていたそうです。「供出」といってお米を国に出さなければならなかったので、不作の年は、自分達の食べる分が無かったそうです。
 ある日学校の帰り道、遠くから飛んできた飛行機をおばあちゃんと友達が数えていましたが、それはアメリカのB-29という爆撃機でした。二十機ぐらいが並んで飛んで本宮の方に行きました。機体から次々爆弾が落とされるのが見えておばあちゃん達は麦畑にうつぶせになってかくれたそうです。
 戦争中は空しゅうけい報がなるたびに授業をやめて裏山に作っておいた防空ごうに逃げたそうです。戦争が終わってからも食料不足が続いて、学校で作っていた畑の手入れをしに何度も出かけて、あまり勉強ができなかったそうです。
 戦争は、多くの人を死なせたり、家をなくしたりして生きる権利が守られていないと思いました。食べ物が少なくて、爆弾がいつ落ちて来るかわからず安心できなかった。おばあちゃんは「戦争はいやだ。」とはその当時言えなかったそうです。自由に話せないという事だと思います。戦争はたくさんの権利が守られないということがわかりました。人権がまもられるためには、戦争が無い方が良いと思います。おばあちゃんは、「絶対戦争はやりたくない。」と言っていました。ぼくも、戦争は人権の大敵だと思います。
 
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