【優秀賞】 平和への思い

大玉中学校 3年 若竹 雛希
 
 「平和を願っている。」この言葉は、私が今年七十回目を迎える広島の平和記念式典へ参加した時、被爆体験者の方が講話の中で何度も何度も私達に語りかけてきた言葉です。被爆体験者の平均年齢が八十歳を超え、高齢化が進む中、少しでも多くの若い世代の私達に、被爆当時を知っている最後の世代としてあの日のことを伝える活動に、残された時間をあてていきたいという思いから被爆体験の語べをしているそうです。
 私は、これまで広島・長崎への原爆投下について、テレビや教科書を通じてしか学んだことがありませんでした。こんな私が、広島の派遣事業に参加し、何ができるのだろうと思いながら広島に向かっていたのを覚えています。戦争という恐ろしい体験、原子爆弾の熱風と爆風によって、一瞬のうちに多くの尊い命が奪われた辛く悲しい体験、私達には想像もつかないような出来事です。それだけに、当時体験した人だけが知る原子爆弾の怖さは、言葉だけでは伝わらないのではないかという思いもありました。それで私は、平和に関するさまざまな論議がある中で、原爆が投下された広島を実際に見て感じたいと思いました。
 実際、平和記念式典が行われる場所へ行ってみると言いようのない感覚に襲われたことを今でも鮮明に覚えています。
式典での、暗く重い言葉は、その悲しい戦争を物語っているようでした。
原爆は、戦争が起きたために投下されました。とても残酷なものだと思いました。
戦争はこんなにも悲しく歴史に残るものだと知らされただけでした。
こんなに人々が残酷になるものは、もう二度とあってはならない。世界中が、いつまでも平和であるようにと願いながら黙祷を捧げました。また、市長が「絶対悪」である核兵器の廃絶を目指さなければならないと語っていたことが印象的です。核兵器がなくなれば、平和であるとは限らないけれど他にも世界が良くなるためには、一人一人が思いやりの気持ちを持つ事、命を大切にするという事、自分に出来る身近な事から始めつないでいく事が大切だと思いました。これが被爆体験者が私達に語っていたつなぐという言葉につながっているのではないでしょうか。
戦争の知らない私達にでも出来る事、被爆体験者の方が伝えていかなければ忘れられてしまう。そんな事がないように、また同じ事が繰る返されないように耳を傾ける事、戦争とは一言では言い表せないほど恐ろしいものなのでこんな事は絶対にあってはならないし、起こしてはならない。この事を被爆体験者が私達に伝えたかったのではないかと思いました。もし、あの日晴れていなかったら広島に原子爆弾は落とされなかったと聞き、複雑な気持ちになりました。
もし雨が降っていたらまた違った場所が犠牲になっていたのではないかとも思いました。そう思うと胸が締めつけられる思いになりました。今も昔も、自分の一番大切な人との別れは、とても悲しいものだと思います。
戦争で犠牲になった人、被爆や自然災害で命を落としてしまった人達が、数えきれないほどいます。佐々木禎子さんという人が原爆の子の像のモデルになっています。この佐々木禎子さんは二歳の時、原爆で被爆しました。十二歳で白血病になり闘病中は、「元気になりたい。」という一心で鶴を折り続けたそうです。禎子さんが亡くなった後、同級生達が原爆の犠牲になった子供達みんなのために募金活動を行い、集まったお金で原爆の子の像の近くには数え切れないほどの千羽鶴がささげられています。同級生達の禎子さんへの思いから始まった行動が、世界を動かし毎年世界中から鶴が送り続けられているのはとてもすごい事だと思います。実際、折り鶴を見ているともう戦争のような争い事は、なくなってほしいという思いが強くなりました。今、当たり前に生活できることに感謝しなければならないと思う気持ちになりました。
「こんなに恐ろしい体験は、もう私達で終わりにしてほしい。」と、被爆体験者の方が語っていたことが今でも忘れられません。
今私達が出来ることはあるのだろうか。誰もが争いもない平和な世界を望んでいると思います。しかし、今も世界のあちこちで争いが起こっています。自分の国だけ良くなればいい。そんな自分勝手な思いだけで行動する人達が多くなっているように思えます。
争いをなくすために、一人一人が人を思いやり国と国が仲良く平和になる日が来ればいいのにと願うばかりです。そして、被爆体験者の方々の経験を無駄にしないように・・・。
 
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