【佳作】人として大切なこと 

玉井小学校 4学年 武田 実久 
 
 テレビを見ていると、災害の様子が流れました。私たちにもけい験があります。
 東日本大しん災が起こった当時、園児だった私は保育所から帰ってきて、おじいちゃん、おばあちゃんの家にいました。小さかったせいか、そのときの記憶はあまりありません。覚えていることは、停電になったため、お父さんとお母さんの結婚式で使ったという大きなろうそくで、電気がつくまで生活していたことです。
 当時のことを最近、お母さんから聞きました。放しゃ能の関係で、約二週間、お母さんの実家の会津にひ難してお世話になったこと、そのとき品うすだったミルクやおむつをしん災の一ヶ月前に生まれた弟のためにお母さんのお友達が送ってくれたこと、断水のため他の県から水が送られてきたことなど、話を聞いて、本当に感しゃの気持ちでむねがいっぱいになりました。
 また、しん災後、外で体を動かすことが少ない県内の子ども達のために、日本野球機こうが、ふっこう支えん事業としてプロ野球選手と室内で体を動かす機会を与えてくれました。私は三回参加し、プロ野球選手と体を動かし、とても楽しい時間をすごすことができました。私たちのことを気づかって計画していただき、本当にありがたく思いました。
 放しゃ能のえいきょうとして、外での活動がせいげんされたことい外に、福島県で作られた野菜やお米も大きなダメージを受けたこともお母さんから聞きました。しゅうかくできても福島県で作られたというだけで買う人がさけてしまうことが数年続いたそうです。
「TOKIOのメンバーの人たちが福島の食の安全を伝えるCMが流れ、福島県のことをとても応えんしてくれている様子が伝わってきたんだよ。」
と、お母さんはうれしそうに話しました。
 最近では、西日本ごう雨災害で、たくさんの人がひ害を受けました。私は、その場所に行って何か助けることができません。ある日お母さんとスーパーに買い物にいったときにぼ金箱がありました。お母さんは、
「おん返しだね。ぼ金しよう。」
私も今できることはぼ金しかないと思いました。わずかなお金ですが、箱に入れました。東日本大しん災のとき、西日本の方たちからぼ金してもらったそうなので、今度は私たちがおん返しする番だと思いました。ぼ金も助け合う一つの方法として大事なことだと思います。
 私は、お母さんからしん災の話を聞き、助け合うことの大切さ、支え合うことの大切さを感じました。これからもいろいろな人に感しゃの気持ちをわすれず、りっぱな大人になりたいです。そして、私がお母さんになったら、自分の子どもにも助け合うこと、支え合うことの大切さを伝えたいと思います。
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