【特選】人権なんてどうでもいい 

一般部門 永田 さとみ 
 
 インターネットの検索で大概のことが解る現代において、およそ一ヵ月前から、小学校三年生の娘に回答できないままの問いがある。
 それはまさにこの人権作文の案内を回覧板で受け取った時。作文を書くのが好きな娘はこの人権作文に興味を示したようだった。
「ママ、人権ってなぁに?」
と質問された。ちょっと待って、といつものようにインターネットで検索し、『人が生まれながらに持っている、人間として幸せに生きるための権利のこと』と回答すると、
「人間として幸せに生きるための権利ってなぁに?」
と、難易度が上がった質問が返ってきた。同い年くらいの大人であればインターネットに記載されているものをそのまま伝えても理解できるだろうが、何せ相手は八歳。ひとまず理解しやすい言葉を選び説明すると
「じゃあ、あたしも人権を持っているの?」
と聞かれたので、もちろん、と答えた。
「お姉ちゃんも持っているの?」
「妹も持っているの?」
連続した問いにも、もちろん、と答えることができた。
「じゃあ」
すると娘はある方向を指さし、こう聞いてきた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・?」
 きっと娘の質問の答えはインターネットには載っていない。これは私が考え、私の言葉で回答しなくてはならない質問だということは理解しても、娘の質問に頷くのは正解と思えなかったし、だからといって頷かないのは確実に不正解だろうと思った。
 相反する真逆の答えのどちらを回答してもこの当時では正解になり得なかったのだ。
 この人権作文の案内を目にしたのは二〇一八年六月の半ば頃。娘が指さした先には同月初旬に起きてしまった、東京都目黒区の船戸結愛ちゃん虐待死のニュースが流れていたところだった。
『あの子も人権持っているの?』
娘はそう聞いてきたのだ。
 結愛ちゃん虐待死のニュースは知っている人も多いだろう。朝四時に起床してひらがなの書き取りをさせられていた。満足な食事を与えられていなかった。衰弱での死亡。発見時の体重は標準よりずっと少ない十二キログラムしかなかった。覚えたばかりのひらがなで『ゆるして』と助けを求めていた・・・。
 この報道が事実であるとするのなら、彼女は五歳という年齢に応じた、人間らしく幸せな生活を送れていたのだろうか?もちろん人権は生まれた時から誰もが持っている、というのであれば、間違いなく彼女にも人権はあったはずだ。だとしたら、なぜ、わずか五歳という幼さでこのような死を迎えなければならなかったのか。人権はあった、と思うには大きな矛盾が生まれてしまうのが現実だろう。
 少し考えて、私は彼女が人権を持っていたか否か、という議論は置いておくことにした。彼女が幸せに生きて、天寿を全うすることができたのであれば、人権があったか無かったなんてどうだって良かったはずだと思ったのだ。自分の子供に対しても、人権を有しているか否かなんてそんなことはどうでもいい。ただいつか迎える死が安らかなものでありますように。自分の人生を振り返った時「なかなか幸せな人生だった」と思う事ができますように。願うのはそれだけだ。
 今回、思いもよらず人権に対して考える機会があった。しかしこんな機会は二度と無くていい。子供の人権の有無なんて考える必要が無いほど、そんな報道もそんな事件もない世になってほしい。強く、そう願う。
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