【佳作】 東日本大震災で起きた人権問題

大玉中学校1年 眞保 那義
 
 2011年3月11日、午後2時46分、僕が小学校1年生のとき、帰りのあいさつの「さようなら」とともに、大きな地震が起きました。この地震は、日本周辺における、観測史上最大の地震でした。最大震度は宮城県の栗原市で観測された震度7で、僕の住む福島県でも震度6強を観測した場所もありました。僕にとって初めて経験する大地震でしたが、親や、祖父にとっても、初めて経験する地震だったそうです。そして僕は、テレビで初めて津波を見ました。家や車が流されていて、その流されている家の屋根の上で助けを求めている人が映っているのを見ました。僕は、救出されたところしか見ていませんが、この地震で亡くなった原因のほとんどが溺死だったそうです。海の恐ろしさを強く感じるとともに、家族や友人を亡くす悲しみの深さを知りました。
 そして、福島県は、この地震と津波の影響で、福島第一原子力発電所が壊れ、大量の放射性物質がでてしまいました。近くの住民はその土地を離れ、避難生活をしなければならなくなりました。僕の住む大玉村にも仮設住宅ができ、富岡の方々が避難してきました。大玉村も放射線量を測定すると高い場所があり、畑でとれた野菜や米は検査してから食べるようになりました。僕達は検査して大丈夫だったら食べるようにしていましたが、福島県以外の人たちは、福島県でとれたものは放射性物質が含まれていると考え、食べなくなりました。農家の方々は、米や野菜や果物を作ったり、売ったりできなくなり、本当に困ったと思います。検査して安全だから売っているのに、福島県でとれた物だからというだけで、危ないと思っている人がたくさんいます。さらに、食べ物だけではなく、県外に避難していった方々に対し、「放射能がうつる」というような言葉のいじめがあったと聞きました。本当にひどいことだと思います。僕の学校には富岡から転校してきた人がいます。最初は悲しい顔をしているように見えました。だから、みんなで明るい気持ちにさせてあげようと思い、積極的に話しかけました。すると、日に日に笑顔が戻ってきて、友達になることができました。みんな温かい気持ちで、転校生のことを思いやっていました。これが本当の優しさだと思います。しかし、当時は、福島に対する差別が色々ありました。これは、聞いた話ですが、福島県以外で就職活動した人が、福島県の人だからという理由で落とされたそうです。他にも県外に福島ナンバーの車で行くと、いたずらされたりしたケースもあったそうです。僕の家の車がもしそんなことをされたら、とても悲しい気持ちになってしまいます。福島ナンバーの車は、放射能がついていると思われているんだと思います。偏見は本当に恐ろしいです。僕は震災後に関東地方に旅行に行ったことがあります。車にいたずらされたり、福島から来たからといって何か言われたりはしませんでした。もし何か言われたり、いじわるされたりしたら、もう旅行なんか行きたくないと思ったことでしょう。
 震災から5年たった今でも、仮設住宅で生活している方がたくさんいます。体育館などでダンボールで仕切っただけだった時よりはましだけど、本当の家とは違って、壁や窓が簡素にできていてプライバシーの問題もあるようです。特に今、深刻なのが、仮設住宅が古くなっていることだそうです。カビの大量発生と健康への影響が問題になっています。床がくさってへこんで傾いたりして、雨漏りするところもあるそうです。早く修繕して、少しでも住みやすいようにしてほしいです。僕は仮設住宅の中がどうなっているのか、詳しくは知りませんが、新しい仮設住宅を建てたり、ちがう土地に住み変えられるようにしたりと、何か、新しい対策をしていくことも必要だと思います。
 僕は、東日本大震災のことは幼かったのでほとんど覚えていません。しかし、とても大切なことなので5年たった今、親に話を聞いたり自分で調べたりして、色々なことを知ることができました。僕も被害者ですが、僕よりも、もっと直接被害にあった方がたくさんいます。これからもし、何か災害が起きたときも、人とのかかわりは重要だと思います。僕が東日本大震災を通して学んだことをこれからも伝えていきたいです。
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