【優秀賞】 戦争は恐ろしい

大玉中学校1年 神野藤 凌真
 
 今年で戦後71年になります。
 僕は昨年、広島平和記念式典派遣事業に参加させていただきました。この活動に参加したことで、僕は戦争に対する見方が大きく変わりました。
 1945年8月6日午前8時15分、日本に、人類初の原子爆弾が投下されました。広島の街は大きな音と共に一瞬にして火の海となりました。死者数は約14万人で、投下された場所から遠く離れた所にも被害がおよびました。この原爆が落ちた場所は病院になっていました。爆風によって吹き飛ばされて亡くなった人もいたそうです。
 実際に、原爆の恐ろしさを体験した方から話をうかがいました。その方は、「被爆した人達は一言も痛い、熱いなどと言わなかった。」とおっしゃっていました。話してくださった方自身も、友人や知人をたくさん亡くしてしまったと、原爆の影響で声を出しにくい中、一生懸命話をしてくださいました。被爆した人の気持ちになって考えてみると、絶対に今何が起こっているのか分からないし、知人や友人がたくさん亡くなったら、悲しい、寂しいではおさまらないと思います。だから、戦争を表面的にとらえるだけではいけないと思いました。
 僕は、平和記念資料館を見学しました。その中には8時15分で止まっている小さな時計がありました。それから、爆弾が落とされた直後の、被害を受けた人の模型もありました。その姿はとても悲惨で、皮ふはドロドロに溶け、髪の毛もこげていました。僕はこれを見て、心の底から原爆をおそろしいと思いました。一番心に残っているのは、当時の街の様子をリアルに再現していた所です。その中には、三輪車が展示されていました。この三輪車は「伸ちゃん」という子が乗っていました。伸ちゃんは、当時3歳でした。伸ちゃんは、この三輪車に乗っている時に被爆してしまいました。このように、幼稚園にも入っていない子にも影響を及ぼしてしまう原爆のおそろしさは、街の様子の再現を見ただけでも伝わってきます。
 原爆ドームは、被爆する前は「広島県産業奨励館」という名前の建物でした。でも今は、建物の中がむきだしになっていて、被爆する前とは全然比べ物にならない状態になっていました。
 平和記念資料館は、目を背けたくなるものもありますが、原爆の恐ろしさを、実物を見て感じることができるので、とても大切な場所だと思いました。
 今の日本は、平和で安全な暮らしをしている人が多く、また、戦後に生まれた人ばかりなので、当時の辛さをほとんどの人が知りません。僕も当然戦後生まれなので、戦争の本当の恐ろしさ、悲惨さ、怖さを知りません。8月15日に落とされた原爆も、人々が普通に、いつも通り暮らしていた所に被害をもたらしました。たった一発の爆弾によって、多くの死傷者が出たのです。原爆というのは、これほど恐ろしい物なのです。当時の人々は、辛い生活だけではなく、痛い思い、悲しい思いもしています。僕達は、皆がこのような戦争を忘れないように、同じ悲劇をくり返さないように、伝えていきたいです。
 今年で戦後71年になります。戦争について語り継ぐ人も少なくなってきています。現在でも、世界では戦争や紛争が絶えません。僕は、「戦争をしなくても解決策はいくらでもあるはず。」と思っています。同じ人間なのに戦争をするのは間違っています。
 戦争は、人々の平和な暮らしを一瞬にして奪ってしまう恐ろしいものなのです。その戦争を経験した人も高齢になり、多くの人はこの世を去り実際に戦争から生き残った人の中には、家族を失った人生は辛いと思っている方もいると思います。でも生き残った方々がいるからこそ、こうやって僕達にも平和の尊さや今ある命の大切さが心から理解できるのだと思います。だから、僕達も後を継いで伝えていければいいなと思います。そして、今生きている一日一日を大切にし、普段から家族や友人を大切にしていかなければならないと思います。そういった身近なことが、平和につながっていくことでしょう。
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