【佳作】 人権

大玉中学校3年 石井 海空
 
 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍は日本の広島市に対して世界で初めて核兵器を実戦使用した。その日はとても暑かったと聞いた。当時の人口約35万人の人たちは通勤、通学もしくは家で家事をしていた。晴れた空に走る閃光。雷が間近でなったかのような大轟音。その後、一転して広島は、とても静かだったそうだ。広島市民は、体の皮膚がただれ、この世のものとは思えないような光景が広がっていたそうだ。そこら中にたっていた家は、吹き飛ばされて崩壊していった。いたるところで火事が起きていた。
 僕の祖母が、長崎県出身ということもあり、僕も長崎原爆資料館へ行ったことがあります。僕はまだ小さかったけれど、真剣に展示物を見ていました。資料館へ行って心に残っているのは、爆発で壊れた水タンクと当時の中学生が使っていた弁当箱です。
 また別の日に、広島の原爆資料館にも行きました。資料館には、ファットマンやリトルボーイの等身大の模型などが展示されていました。それらを見てなぜ昔はなんでも武力で争っていたのかと気になりました。それから、なぜ今は戦争が少なくなったのか知りたいとも思いました。現在でも武力を持って活動しているところがあります。その人たちに深く考えてほしいです。人々を苦しめてまでして何かを得るのか。しかし、そのようなことを言っても武力を持つ人、利益を持つ人は、聞かないでしょう。なぜ罪のない人々がそのような争いで死ななければいけないのでしょうか。僕にはその意味が分かりません。
 そして資料館へ行ったあとに、平和記念公園に行きました。記念公園に行くと、当時原爆で破壊された建物がありました。その建物は、上の方が丸く骨組みだけになっている、あまり見たことのない建物の形をしていました。その建物をくわしく調べてみると、昔は広島県物産陳列館という建物だったそうです。立派な建物だったのに原爆を落とした瞬間に今の原爆ドームのような状態になてしまいました。一瞬で悲惨な姿に変化させてしまう、原爆の恐ろしさをあらためて深く感じました。そして、夜になると近くの川で灯篭流しをやっていました。灯篭には、たくさんの願いなどが書き込まれていました。たくさんの灯篭が一斉にゆっくりと川を流れていくところが美しく、物悲しくて何とも言えない気持ちになりました。
 長崎へ行ったときに平和記念像も見ました。とても大きくて、驚きました。そこは当時、刑務所だったそうです。刑務所内で爆死した人々を追悼するために建てられました。その像は神の愛と慈悲を象し、垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命を表し、軽く閉じた目は、原爆犠牲者の冥福を祈っているそうです。像に込められた意味が胸に迫ってきます。
 なぜ人々は昔、戦争を始めてしまったのでしょうか。その人々の中には、妊娠されている方や産まれたばかりの幼い子を持つ母や好きな人がいる人や結婚が決っていた人も中には、いたでしょう。それらを奪ってしまった原爆。とても悲しく恐ろしいです。
 戦後約70年、日本では、戦争は起きていません。しかし残念ながら、ニュースなどで殺人事件やテロの発生がたくさん報道されています。テロは、いつ起きるのか分かりません。人が大勢集まるところで起きます。絶対にそのようなテロにはあわないとは言いきれません。なぜなら、単純にテロリストは、人がたくさん集まっているところを狙うからです。人は一人一人さまざまな行動をします。だから、テロにあわないとは限らないのです。このように深く考えてみると、戦争とテロは似ています。それは、相手が人の多い場所を選ぶことです。もう一つは、相手に恨む気持ちがあることです。また世界中でそのようなことがある限り、平和とは言い切れないと思いました。なぜなら、もし日本のまわりの国が、日本を恨んでいるのなら、いつ攻めてくるか分かりません。それから、実際に世界中でテロが発生しているので、僕はそのように思いました。
 戦争やテロがなくなるのには、日本だけではなく、他の国も非核三原則を用いた方がいいと思いました。
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