【特選】子どもの心に残る「傷」

福島県立本宮高等学校2年 遠藤 翔太
 
 最近、児童虐待に関するニュースをよく見かける。私はそのようなニュースを見て、「なぜ自分の子どもを大切に思えないのか」と疑問を持った。
 児童虐待をする理由としては様々だが、多くは育児のストレスが原因として挙げられる。つまり児童虐待というのは親の八つ当たりやわがままだと、私は思う。
 厚生労働省の「児童虐待の定義」によると、児童虐待の形態は大きく四つに分けられている。一つは殴る、蹴るなどの身体的虐待。次に子ども性的なことをさせる、又は行うなどの性的虐待。次に、家に閉じ込める、食事を与えないなどのネグレクト。最後に言葉による脅し、無視をするなどといった心理的虐待だ。さらにこれらの虐待は年々、増加の一方である。二〇一六年八月、厚生労働省が公表した虐待報告件数は、十万件以上だった。一九九〇年には約千件だったものに比べ、二十五年間で百倍に増加している。
 しかし、児童虐待をする親も理由がなく虐待を行っているのではないと、私は考えた。先ほど私は、「虐待は親のわがままでしかない」と述べたが、親も私たちと同じ人間である。虐待をしている親の気持ちになってみてはどうだろう。もちろん、親自身の性格の問題もあると思うが、社会的な問題もあると思う。引っ越してきて新しい環境に慣れることができず、社会から孤立してしまっているのかもしれない。これらの原因・理由を考え、やはり私は、虐待はしてはいけないことだと思う。虐待を受けた子どもたちは、とても辛く、苦しい記憶を抱えながら、この先長い人生を歩まなければならないのだ。ただ、私は、虐待を行っている親だけを責めても問題は解決しない。その親だけが子育てをするのではなく、「社会全体」で子育てをしていくという考え方が不可欠だと思う。
 例えば、子育て世代に減税を施したり、保育園の整備を進めたりすることだ。虐待をしている親をただ止めるだけではなく、役所などの関係機関が心理的サポートチームなどを作って親の援助をしていくことが重要だと思う。
 子どもを守るために、私たちは何ができるだろうか。「社会全体」で子ども一人ひとりを守っていく以上、高校生や中学生である私たち学生も、無関係な傍観者ではないのだ。加害者が自らの行動に気付くのはもちろんだが、被害者である子どもたちに対する私たちの意識を変えていくことが重要だと思う。「私が勘違いをしているのかもしれない」「子供が毎日泣いている。虐待かも」など、私たち傍観者の多くは間違いを恐れて行動を起こせずにいるのである。しかしこの傍観者の中の一人でも考え方を変え、「これは虐待だ」と言うことのできる勇気を持てたなら、被害者である子どもを救う希望になれるかもしれない。
 虐待を受けている子どもは被害者である。しかし、虐待をしている親もある意味、被害者であると言えるだろう。もし私がそのように虐待を受けているかもしれない子どもがいたら、手を差し伸べ、話を聞いてあげたいと思う。そしてもし自分が結婚し、子どもを持つようになったら、自分が親に注いでもらった愛情を子どもにも与え、大切に育てていきたいと思う。
このページの情報に関するお問い合わせ先
政策推進課 広報係 TEL:0243-24-8098 FAX:0243-48-3137