【優秀賞】日常生活の中で 

大玉中学校1年 根本 真莉
 
 「すいません。」
後ろの方で声が聞こえた。振り向くと、白髪まじりの体の不自由なおじさんが、車から降りて車イスへ乗ろうとしていた。しかし、シートベルトが体に引っかかり、車イスに乗れない。顔が汗でびしょぬれだった。母と二人で買い物に来ていた私は、すぐに母とおじさんの所へ行き、車イスに乗るのを手伝った。それを見ていた店員さんが走ってきて、一緒に手伝ってくれた。おじさんは、
「ありがとうございます。助かりました。」
と言った。
「お店の中まで一緒に行きましょうか?」
母が言うと、おじさんは
「大丈夫です。ここからは自分で行きます。ありがとうございます。」
と、店員さんと私達に向かって何回もお礼を言い、日焼けしている両手で一生懸命に車イスを操作して、お店へと向かっていった。その後ろ姿を見ていたら、なんだか悲しい気持ちになった。「一人暮らしかな?」「だれか一緒について来てくれる人はいないのかな?」といろいろ考えてしまった。私の家族や親せきで、体の不自由な人はいないが、もし、体が不自由になってしまった人がいたら、だれよりも進んで助けてあげたい。
 私は「あれ?」と思った。母が車を停めた所と、おじさんの車が同じ並びにある。おじさんが停めてあるはずの「思いやりスペース」に別の車が停めてあったのだ。その車は「車イスマーク」のない車だ。おじさんは、その車が停めてあったので入り口から遠い駐車場へ停めることになってしまったのだ。
「お母さん、この車が停める場所、間違ってるよ。」
と母に言うと
「そうだね。でも、この車の人は気付いているはずだよね。」
と言った。私もそう思った。車の免許をとる時、色々習うはずだ。「思いやりスペース」の事も。それに、今まで何回も見てきたと思うのだ。地面にも大きく「車イスマーク」が色別に分かりやすく書いてある。だれだって入口の近いところへ停めたいだろう。その日はとても暑かったからだ。もし、雨が降っていたら、かさをささなくてはいけないだろう。車イスの操作、買い物の袋など全部自分でやらなくてはいけない。もし、私がおじさんと同じ立場だったら悲しい気持ちになる。助けてもらったら、うれしい気持ちになるのだ。声をかけるのも勇気がいる。困っている人がいたら、優しく声をかけることを心がけたいと思う。
 会計が終わり出口へ向かうと、休けいスペースにおじさんが座っていた。飲み物を飲み休んでいた。外はとても暑い。これから、入り口から離れている駐車場へ向かわなければならない。
 私は帰ると中も帰宅後も、なぜかおじさんが気になっていた。
「家に着いたのかな?まだかな?」
と母と話した。もしかしたら、おじさんにしてみれば
「毎日の事だし、なにも苦しくないよ。不自由だなんて思わない。みんなと変わりない生活ができるんだよ。」
と、言うかもしれない。
 親切で声をかけたはずなのに、相手にしてみれば
「よ計なことして。何も言っていないのに!自分でできるから!」
と、気分を悪くしてしまうときもある。いやな反応がかえってくると、自分までいやな気持ちになる。難しいところだ。
 目の不自由な人の為の「音響信号機」がある。音の出る信号機で、安全に横断歩道を渡れる様になっている。目の不自由な人、体の不自由な人はみな同じ一人一人の人間だ。体の不自由な人もそうでない人も住みやすい世の中に、もっともっとなってくれるといい。
このページの情報に関するお問い合わせ先
政策推進課 広報係 TEL:0243-24-8098 FAX:0243-48-3137