【優秀賞】お年寄りと人権  

大玉中学校2年 生方 音羽
 
 私の周りにいるお年よりはみんな元気だ。前より体力が落ちた、膝が痛いなどと言いながらも毎日働いている。最近よく聞く、「認知症」や「障害者」という言葉は私には無縁だった。
 私は学校での職場体験で病院を見学した。患者は高齢の方ばかりで、寝たきりの人、車イスにのり看護師と話をしている人、いつ何があっても大丈夫なようにカメラで見守られている人とさまざまな患者がいた。自分の周りにいるお年よりとはあまりにちがっていたため、とても驚いた。さらに驚いたのは、食事の様子だ。自分の料理を自分でつくり、自分の手を使って食事をする。それが普通だと思っていた。でも病院での食事は患者一人一人にあった量、形状を考え病院の栄養師の人がつくっている。自分で食べることのできない人は食べさせてもらったり、それでも食べることのできない人は胃から直接チューブで食べ物を入れられていた。日常生活のほとんどを手伝ってもらわなければいけない人がいることを知った。私はもう一つ老人ホームを見学した。まず認知症の方の利用する部屋を見せていただいた。普段は鍵がかけてあり、他の利用者とは別部屋になっていた。利用者の中には、歩けないのに歩こうとする人や定時になると「家に帰らなくちゃ。」と言う人もいると言っていた。動くことのできない人はオムツがえもあるそうだ。私が体験したのはデイサービスを利用している方との交流だ。たくさん話をしたが、話をする時は、ゆっくり大きな声で話をしなければならなかった。すべての行動に気をつかわなければいけないことがわかった。そして利用者の人たちはこの話ができること、人と交流できることが楽しいといっていた。他にもレクリエーションで、体操や遊びをした。体験する一つ一つが初めてで、自分に無縁だったことをたくさん知ることができた。
 この体験を基に最近問題視されている、「老人虐待」について考えた。日本は長寿国であり世界でもトップクラスだ。それは、乳幼児の死亡率とともに高齢者の死亡率が低いためだ。それにみあう医療が発達している。しかし、高齢化が進み、被介護者の人数が増えるとともに、虐待という問題が発生する。今では自宅や施設、病院など場所を問わず様々な所で起きている。虐待の起こってしまう原因は「意思疎通」にあると思う。私が老人ホームに体験に行った時、九十三歳の方とお話をした。でも大きな声で話しても伝わらず、相手の話が言っていることも分からず困惑してしまった。もう一人の人とも話をしたがどちらも話が通じるものの、何度も何度も同じ話を楽しそうに話すのだ。普通のことができないとこんなにも大変なんだと感じた。私にはこれが毎日続く生活なんて想像ができない。
 そして最近、虐待に関する事件が報道された。介護施設で高齢者5人が相次ぎ死傷していたのだ。
 被害者の一人は胸のあたりにあざがあったそうだ。そんなことがあっていいのだろうか。いいわけがない。しかも5人を介護した経験のある元職員は「自分が介助した際異常はなかった」と話している。本当にその人がやったかは分からない。でも被害を受けた高齢者だってわざと行動している訳ではないのだ。きっと本人が一番つらい。私には介護師の気持ちがほんの少しだけ分かる。できないことが多かったり、耳が遠かったり・・・。イライラしてしまうのも仕方がないと思う。でも、もし祖母が、父や母が虐待をされていたら私はゆるすことができないと思う。
 誰しもが直面する介護問題。将来介護する側やされる側になる。今、私たちにできることはあるだろうか。私は「支え合い」が大切だと思う。虐待をしてしまう人や環境は一人でかかえこんだり、負担していたりすることが多い。そのため被介護者と介護者のストレスがたまり、虐待が続くようになってしまうのだ。もし、負担を分けることができるなら、もし、減らすことができたなら、虐待は減っていくと思う。私の住んでいる大玉村には「ひなたぼっこカフェ」という月一回行う集まりがある。ここでは、認知症の人に社会との接点をもつ機会だったり、その家族や介護職の人や地域の人たちが集まり認知症について深めることができるそうだ。念に数回芋煮会やおし花教室などのイベントもあるそうだ。私はこのような取り組みが増えていってほしいと思う。私のような認知症や介護についてよく知らない人が学べる機会になる。そして、もともと知っていれば、自分が関わるようになってから焦ることも減らせると思う。「介護」という言葉が身近になることで、みんなが協力をする社会をつくれるのではないか。「介護は大変だ、つらい」というイメージがなくなり、長生きで幸せな日本になってほしい。
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