【佳作】だれもが過ごしやすい未来へ 大山小学校5年 野内 曖希

だれもが過ごしやすい未来へ
大山小学校5年 野内 曖希
 
 先日、道徳の時間に「ガンジーのいかり」というお話を読んだ。そのお話は、イギリスに支配されていたインドの独立のために人生をささげたガンジーが、アフリカの汽車に乗った時、黒人が白人から差別を受ける話だった。ぼくは、「なんでこんなことをするのだろう。」と、悲しい気持ちになった。それは、以前、インターネットで、どんな人も差別をされない権利があるのだと調べたことがあったからだ。
 どんな人も差別をされない権利は平等権といって、人権の一種である。この、人権を守るということは世界共通の考え方なのだそうだが、お話の中の黒人は人権が守られていない状態だった。ガンジーが生きていたのは七十年くらい前の話だから、今の世の中にはもう差別なんてないだろうと思っていた。しかし、授業の最後に、先生から世界の子どもたちの現状が書かれた資料をもらってびっくりした。そこにのっていた子どもたちは、日中も学校に行かず、家の仕事を手伝って忙しそうにしていたり、ボロボロの洋服を着ていたりしていたのだ。子どもでも働かないと生きていけない暮らしをしていたのである。みんな平等に生きていくことが保しょうされているはずなのに、そうではない国や子どもたちがいることが、ぼくは信じられなかった。資料を見るたびに、大変な様子が身にしみて苦しくなった。
 そのことを思うと、ぼくの暮らしはとてもめぐまれていると思った。ぼくは毎日元気に学校に通っている。勉強したり友達と遊んだり、楽しく過ごしている。休み時間に友達とキックベースをして遊ぶのが、最近の定番だ。ボールをけったり投げたりするのはスカッとする。もし、学校でみんなと遊べなかったら、考えるだけでいやになる。給食だってそうだ。ぼくは、パンが好きだ。シチューが出た日にはパンに付けて食べると最高だ。もし、給食がなかったら、おなかがすいて、走り回って遊ぶ力も出ないだろう。ぼくは算数の勉強も好きだ。計算力には自信がある。しっかり勉強して、将来の仕事に生かしたいと思っている。もし、今、勉強する機会をうばわれてしまったら、きっとぼくの将来の夢はかなわない。自由な暮らしはできないだろう。
 色々想像すると、当たり前と思っていたぼくの生活は、本当にめぐまれているものだったのだと、改めて実感させられる。暮らしが苦しい国の状態を、ぼくの力で一気に変えることはむずかしいけれど、ぼくにだってできることがあるはずだ。もし、近くに悲しそうな表情をしている友達がいたら、はげましてあげよう。重い荷物を持っているお年よりがいたらぼくが代わりに持ってあげよう。道に迷った外国人がいたら、道案内してあげよう。勇気を出して歩みよれば、明るく、温かな社会になるはずだ。世界中のだれもが過ごしやすい未来が、一こくも早くおとずれるといいなと強く思う。