【佳作】震災から 今までの思い 一般部門 三瓶 タカ

震災から 今までの思い
一般部門 三瓶 タカ
 
 千年に一度と云われた東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故から、早や九年目となった。毎日朝な夕なに思い出すのは突発的に襲ってきたあの日あの時の悪夢のような情景です。どんなに辛く悲しい事でも月日がたてば忘却し、風化してしまうものですが、しかし、風化しつつあるあの時の記憶を掘り起こして見る事にしました。
『2011年3月11日(金)PM2時46分、恐ろしい事が起きた。大きな地震が東北関東を襲っている。国内最大級マグニチュード8.8、3回も続いた。震度7。
津波-津波に今人が呑まれた。夜テレビで死者56人、怪我人多数との放映。停電、携帯電話通じない。3月12日(土)、津波猛威、人、家、車も濁流に呑み込まれた。行方不明者多数、地元の原発も危ういのではないか?夜第一号機爆発、さてどうなる、どうしたら良い?
いやな予感と不安。激寒の夜であった。
3月13日(日)、第一号機原発放射能漏れ、20km園内に避難命令、M9.0と修正された。大勢避難開始、不気味な放送に従っての行動ではあったが道路はどこも渋滞で動けない。3月14日(月)想定外三号機水素爆発。あゝ怖い。3月15日(火)、第二号放射能漏れ、炉心溶融、東電計画停電開始、東電官房長官と原子力保安院会見、固唾をのんで聞いた。首相、テレビで「覚悟決めてほしい。」と発言。何に馬鹿な事云っているの?放射能、制御棒、ベクレル、シーベルト、ヨウ素。どの言葉も無知で私にはわからない。
ガソリン不足、物流麻痺、レトルト食品、飲物等、スーパーの店棚から消える・・・。3月16日(水)死者一万人超、福島県に在住の外国人が次々と母国や大阪方面に移動。我県民は外部被曝それとも、内部被爆?。3月17日(木)、物流マヒ続く。三号機冷却放水始まる。被爆対策に有用なヨウ素品切れ。あゝ恐ろしい、色も形も臭いもない放射能-』。逃げまわっているうちは夢中で何も考える事さえなかったが、「ホッ」と一息ついたら、恐ろしくて、悲しくて例えようのない切迫感におそわれた。
さて、この忌まわしい震災と原発事故は一瞬にしてあらゆる方面から「ふる里」を変え、被災地の「時」をも20年先に進めてしまわれた。人口減、少子高齢化、産業の衰退、医療、福祉の維持と確保の難しさ・・・等々。津波でもふる里に想いを募らせながら大勢の方々が亡くなった。
「災害はいつ、どこに、何が起こるかわからない。」
「災害は 忘れた頃に やってくる。」
我が身にふりかかって初めて知るこの怖さ、恐ろしさ。我身にふりかからない政治家は「この災害は東北で良かった。まるで死んだような町だ。」と心で笑い、「福島の復興なくして日本国の再建はなし・・・。」「頑張って下さい」と立派な言葉を吐く・・・。何をどの様に頑張ればよかったのか?絶対安全安心の言葉を信じ、何の疑いすら持たず、放射能に関する知識さえ得ず、すごしてきた事、今更のように悔やまれる。
私達にできる事はこの恐怖の記憶を風化させず後世に語り継ぐ事が大切だと思う。
 私達は余儀なく原発難民となり、大玉村の方々には大変おせわになって居ります。
沢山の御配慮、御支援と温かい心で接して頂き有難うございました。素敵な出会いから、当地でしか体験できなかった事にもお誘いを頂き、やらせて頂いたお陰で良い経験もできました。仮設住宅の後方には、安達太良山系が凜々しく聳え変わる四季折々の風景にも心身共に癒やされました。その裾野に広がる田ん甫と処々にイグネのある家屋が点々と、その調和のとれた風景は素晴らしい自然美です。
「日本一美しい村」その名に相応しい御貴村にお世話になれた事は一番の倖せ者と思っています。未だに離れがたく、時にふれお邪魔しお世話になって居ります。「人生一生に二度とない。」辛苦はつきものですが、物事を+(プラス)志向に生き辛苦を笑顔に変えて、心から感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。