【佳作】障害を持つ人達 大玉中学校3年 石橋 天誠

障害を持つ人達
大玉中学校3年 石橋 天誠
 
 これは十月十四日、日曜日のことである。私は祖父母と三人で昼食をとっていた。毎週日曜日に放送するNHKののど自慢大会が祖母の楽しみということもあり、この日も昼食をとりながら見ていた。次々と参加者が歌っていく中、ある少年に目が止まった。私と同じ中学生程の少年だが、彼は明らかに前までの参加者と異なるところがあった。車イスに座っていたのだ。怪我をしたのかとも思ったが、車イスに乗る程の怪我ともなるとのど自慢大会どころではなく、病院でリハビリをするだろう。そこまで考えたとき、彼は障害を持っている障害児なのではないかという、もう一つの考えが浮かんだ。祖母はその少年の歌を他の参加者が歌っていたときと同じように楽しんで聞いていたが、僕は少し障害について考え始めていた。
 翌日、私は障害や障害者についてインターネットを使って調べてみた。そもそも障害というのは、物事の達成や進行の妨げとなることやもので、障害者(十八歳未満は障害児)は、障害が原因で生活に制限を受ける人のことである。生まれつき体の一部を切断しなければならない人や、事故に遭い身体を悪くしてしまった人など様々な人が当てはまる。そこで彼らのような障害者は、日本にどのくらいいるのかという新たな疑問が浮かんだ。さらに調べると朝日新聞デジタルのサイトにたどり着いた。二〇一八年四月九日に厚生労働省が公表した日本の障害を持つ人の人数がそこには記載されていた。私をそれは凄く驚かせた。なんと日本全国に約九百三十六万六千人もいるというのだ。これは日本の人口の約七.四パーセントの人数である。それほどまでに多いとは予想していなかった。また、障害にもいくつか種類があり、身体障害や知的障害、精神障害などがある。二〇十四年から二〇十六年にかけて実施された生活実態調査の推計を見てみると、身体障害、知的障害、精神障害の三つすべてが日本で増加していることが分かった。なんと二〇十三年から二〇十八年までに約百四十九万人障害者が増えているのだ。そして障害者の数が増加傾向にあることも分かった。多くの人がそれぞれの障害に悩まされていることを知り、心が痛んだ。
 障害について調べるにつれて障害者差別というワードを見つけた。障害者差別とは身体的あるいは精神的障害のため受ける差別のことである。障害を持つ人に暴力を振るうというニュースを過去に見たことがある。これも障害者差別にあてはまる。障害者差別には二つ種類があり、一つは人権や生存権が損なわれるような経験を障害者本人の意思とは無関係に強いられるものである。具体的には、暴力や名誉毀損、不妊手術の強要などがあてはまる。もう一つは障害を理由に、社会参加等が制限されるような制度、もしくは運用上の差別や排除である。これには障害者の隔離や居住制限から欠格条項等による就学、就職差別、介護放棄などがあてはまる。このような、障害者に対する差別が今でも起きている。私はその差別をする人達に憤りを感じた。障害を持つ人達は障害者に望んでなった訳ではないのだ。少なくともその彼らを差別することはいけないだろう。私達は彼らを差別するのではなく支えていかなければならないのだと私は思う。
 このような障害者を支えようとする活動はすでに私達の身のまわりで行われている。例えば街中の階段にはスロープがついていたり、歩道や駅には点字ブロックがある。このような障害者を支えようとする活動は、必ず障害を持つ人達の助けになると私は思う。少しでも理不尽な運命をたどる彼らを支える社会が早く造られれば、彼らも私達のように楽しく生活できるようになるのではないだろうか。そのためにも私達は彼らに手を貸し、耳を傾けることが大切だと私は考えた。
 障害を持つ人達が私達と同じように生活するために行われていることは街中以外にも見られる。例えばスポーツだ。目の見えない人が音を頼りに卓球をしたり、車イスでバスケットボールをしたりなど障害を持つ人でもできるスポーツがある。このような活動が障害を持つ人達への差別を少しずつ無くしていくのではないだろうか。のど自慢大会に出場したあの少年もそうだ。歌うことで少しつながりができたのではないだろうか。そう考えたとき歌は人をつなぐというどこかで聞いたことのある言葉を思い出した。ここまで考えて改めてその言葉の意味も理解できた気がした。あの少年の歌は合格判定にはならなかったが私のように障害のことについて考えようとする人が少しでも増えるきっかけになったのではないだろうか。それはきっと合格以上に大切なものだ。私は中学生だ。出来ることは支援募金や手を差し伸べることぐらいだろう。だがこのような小さな行動が少しずつ社会を変えていくのだと思う。彼らがより幸せに生活できる世界になることを願っている。