【特選】蓄えた健康・九四歳 一般部門 伊藤 正子

蓄えた健康・九四歳
一般部門 伊藤 正子
 
 大玉村には村民の集うサークルが幾つもあります。
文化系は勿論のこと、スポーツ系も多種多様に渉り、幼児期から高齢者に至る迄好みのサークルを選び参加の一途を辿っている。
 それぞれの種目に見合った施設も、完全とは言え無い迄も、不自由を感じる事は全く無い事が見て取れる。
 そして、そこにはこの村が如何に住み易い場所と化しているかを、村民は理解し嬉しい限りである。
 中でも、地域住民が丸ごと参加を目標に掲げられたサロンサークルは、高齢者は素より年令の差別無く、気兼ねなく遠慮なく誘い合い声かけ合って快適さを兼ね備えた集会所に足を運ぶ。この日を待ち詫びていた面々が豊富な話題を持ち寄り、話の種は尽きる事を知らない。サークルの中身は実にバラエティーにとんでいて、笑いあり、お楽しみ食事会あり、社会探訪もあって四季折々にはバスに乗ってのお出掛けもあり、時には芸術鑑賞までもある。
 これには留守を預かる家族からも、安心して参加を応援している声が届けられている。
 かつて、村に集会所が無かった頃のこと、そしてサロンサークルが無かった頃を思い返せば、日々の暮らしが快適になり、夢の様な毎日であると言っても決して過言ではない。
 当時は出掛ける度に、舅・姑に伺いを立て家族に気兼ねをしていた頃の思いが走馬灯のように蘇って来る。
 嫁入りして、舅・姑に仕え夫を立て乍ら子育てに追われた日々、そして家族の健康を気遣い乍ら、毎日欠かす事の無かった食事作りは嫁の特権でもあり安らげるひと時であった事が思い出される。しかし物が豊富で無かった時代は、毎日が苦痛にさえ思えた。
 この頃の女性は、人権などと言う言葉の存在すら知らずに居た事を思って見る。主婦には定年が無いなどとほざき、勝手な御託を並べていた事が可笑しく思い出される。
 良く々考えて見れば、家族の健やかな日々を願い命を守って居た女性の働きは、これこそが人権有存の日々であった事が頭をかすめる。女性は家族に必要とされ、守られ、活かされて居が良く理解出来る。
 移ろいの時は素晴らしい時代を運び、村民それぞれの羽ばたきが嬉しい迄に目に入る。
 私のご一緒するスポーツサークルに、九四歳の素晴らしい健康を蓄えた四人が元気に競技を楽しんでいる。大正生まれの男性二人と女性二人である。その昔、徳川家康将軍が称えた人生僅か五十年を遙かに越えて、百歳人生が当たり前となっての今日ではあるが、しかしローマは一日にして生らずの例えにある様に九四歳までの道程は、それこそ半ぱなものでは無かったと思える。その一喜一憂の曲折はどれ程の心構えを要した事かは、想像を遙かに越えて心に響くものがある。男性二人は戦争を体験しておられ、短剣を下げた軍服姿の写真を見せて貰った事がある。当時は実に若々しい二十代の青年であった。
 しかし今は、ゲートボールが好きで好きでたまらない九四歳の高齢者となった。
 昭和六十年の十一月二七日に大玉村ゲートボール協会が発足して以来絶える事無く続けられ、当時は屋外での競技であり、雨、風の心配が多分にあったが、今は恵まれた屋内運動場での快適な日々となり、九四の女性もコスチュームを楽しみ乍ら参加をしている。
 この好きで、好きで、たまら無く好きでゲートボール無くしては夜も日も明けない大正生まれの四人は、チーム皆の憧れであり、宝ものです。蓄えた健康を百歳まで延ばし、快適な屋内運動場に百歳のゲートボール競技者が誕生しその姿が見られる迄皆で見守り、惜しみ無い応援を贈りたい。